胡町(読み)えびすまち

日本歴史地名大系 「胡町」の解説

胡町
えびすまち

[現在地名]大分市大手町おおてまち一―二丁目

稲荷いなり町の東に続く町。北側は長池ながいけ町、東隣の万屋よろずや町との間から北に中横なかよこ町が延びる。慶長府内絵図に町名みえ、北頬五二間・南頬三九間、南北の入一五間。鎮守の蛭子祠は大友能直が下総古河こが(現茨城県古河市)より蛭子神を勧請して府中工座たくみざ町に祀ったのが始まりと伝える。慶長七年(一六〇二)の府内城下建設の際当町のほか下市しもいち万屋小物座こものざ檜物ひもの西上市にしかみいち船頭せんどうの各町に祀られた(雉城雑誌)。町域の南側にある真宗大谷派浄龍じようりゆう寺は、松平(大給)忠昭に随従してきた了然が寛永年中(一六二四―四四)花津留はなづる村に道場を開き、丹波亀山かめやま(現京都府亀岡市)にあった時代の寺号をとって浄龍寺と号した。


胡町
えびすちよう

[現在地名]中区胡町・堀川ほりかわ町・本通ほんどおり

堀川町の北側に平行して通る横町で、東は東引御堂ひがしひきみどう町に続く。西は鉤の手に北側に折れて平田屋ひらたや川を渡ると東魚屋ひがしうおや町に出る。城下新町組に属した。町名について「知新集」は「慶長八年福島殿時代、胡堂西十日市町より此ところへ引うつし、はしめて胡町と名つく、古名市の町といふは其前より此処にて市立しけるゆゑなり」と記す。

元和五年広島城下絵図には「ゑびす町」として町間数一町五七間。寛永二年広島町数家数改め(済美録)によると本家五二軒・借家一〇一軒とあり、承応切絵図では家数七四、間数二六一間四尺五歩。「知新集」では町門一(鉄砲町筋)、町間数三丁二一間二歩、竈数九九(本竈二五・借竈七四)、人数二八三(男一四五・女一三八)、うち本道医二人、入歯細工師(益井屋武八郎)・櫛細工・筆結(吉崎利兵衛)小細工・桶屋各一人をあげる。


胡町
えびすまち

[現在地名]福山市胡町

大黒だいこく町の北に続く両側町。北は橋の南詰惣門に至る。惣門は神辺かんなべ(現深安郡神辺町)方面から福山城下に入る門で、城下町形成の初めは西方本町ほんまち筋にあった。当時胡町一帯は侍屋敷地であったが、のち門が土橋南詰に移されたのに伴い、南方しん(木綿橋)に至る直線路に沿う町並が水野氏時代後期に形成された。町名は商家の縁起ものである恵比須大黒にちなんだもの。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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