日本大百科全書(ニッポニカ) 「自然国境説」の意味・わかりやすい解説
自然国境説
しぜんこっきょうせつ
frontière naturelle フランス語
国境を民族・人種や文化的連帯などによらず、天然の地形や自然境域により定めようとする説。歴史的な理念としては、16世紀以来フランスで唱えられた。ルイ14世は「余には祖国の領土に限界はない」と豪語したが、もともとガリアの昔から、南はピレネー山脈と地中海、東はアルプス、北はライン川、西は大西洋によりくぎられた地が、「甘(うま)し国フランスの郷土」とみる思想があった。そのため、ドイツ(神聖ローマ帝国)と隣接するライン川沿岸で、フランスの自然国境説は絶えず摩擦や紛糾を呼び起こした。ドイツの領国がライン川を越えている矛盾を指摘し、16世紀に得たストラスブール、メス、ベルダンなどの要衝を固めて、国境を北東方へ押し出す策は、ルイ13世の宰相リシュリュー以後、歴代のフランス王や将軍の侵略熱をあおった。フランス革命軍やナポレオン軍のドイツ進撃に際しても、自然国境説は理性的に正当化され、ライン川左岸の地を全面的に占領すべき作戦の名分に加えられた。1870年に勃発(ぼっぱつ)したプロイセン・フランス戦争の結果、フランスはライン川に近いアルザス・ロレーヌ2州を失うが、同時にそれは伝来の自然国境概念の挫折(ざせつ)でもあり、破局でもあった。フランス国民は第一次世界大戦により、これに復仇(ふっきゅう)を遂げるのである。
[金澤 誠]