ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
興禅護国論
こうぜんごこくろん
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
… これに反感を抱いた筥崎の良弁や比叡山の意向をうけ,朝廷は94年達磨宗停止の宣旨を下し,大日房能忍のそれと合わせて栄西の禅宗を禁じている。これに対する反論と主張は98年《興禅護国論》にまとめられた。栄西は,禅宗が末法の時代にこそふさわしく,鎮護国家にいかに有用かを説き,比叡山における禅の先蹤を明らかにして巧みにその非難をかわし,朝廷はこの禅宗の弘通を勅許すべきだと論じている。…
…摂関政治・院政期には鎮護国家の概念に代わって,むしろ王法仏法(王法)の観念が強まってくるが,鎌倉時代には禅宗,日蓮宗の勃興とともに仏法による護国論が提起された。栄西は《興禅護国論》を著して禅院の建立は国家を守護し民衆を利するものとし,道元は永平寺を建立してこれを実践したし,日蓮は《立正安国論》《守護国家論》を著した。1338年(延元3∥暦応1)から足利氏が諸国に設けた安国寺は,〈安国利生〉に基づく創建で,これも南北朝動乱の終焉を祈るとともに国家の安寧平和を目的としたものであった。…
※「興禅護国論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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