栄西の主著。1198年(建久9)成立。3巻。全体を10門に分ける。第1,2門は,仏教永続のため戒律実践が不可欠とし,これを看板とする栄西の禅宗こそ鎮護国家に役だつと論ずる。第3門で比叡山や朝廷の弾圧をかわし多様な疑問に答えながら,朝廷による禅宗承認の宣旨を繰り返し要請して,本書の直接のねらいを明かす。第4,5,6門は,日本の禅の先例,栄西の伝えた禅の系譜,禅宗教理の経典的裏づけ。第7門に至って初めて宋代の禅宗に特有の論法を展開してみせる。第8,9,10門は,栄西の構想する禅宗寺院の規範,中国仏教界の現状,まとめ,である。本書は禅宗本来の著作形態とあまりに異質だったせいか,中世の禅宗隆盛期に流布しなかったが,鎌倉初期の禅宗受入れ態勢を雄弁に物語っている。
執筆者:菅原 昭英
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
鎌倉時代の仏教書。3巻。日本臨済禅(りんざいぜん)の開祖栄西(えいさい)が、二度にわたる入宋(にっそう)で中国臨済宗の法を受け、日本に臨済宗を広めようとして1198年(建久9)に著した書物。当時はまだ叡山(えいざん)の天台宗を中心とする旧仏教の影響力が強く、新来の禅宗は排斥攻撃を受けたので、それに対し禅をおこすことが護国繁栄につながると力説したもので、日本における禅宗独立宣言の書とみられる。原文は漢文で、10門よりなり、引用などはすべて典拠を掲げて厳密を期している。巻首には作者不明の栄西の伝記、巻後には栄西自身の未来記を付す。
[藤井教公]
『市川白弦他校注『日本思想大系16 中世禅家の思想』(1972・岩波書店)』
日本禅宗開創の宣言書で,宗義綱領をのべたもの。日本仏教史・思想史上で画期的なもの。3巻。1198年(建久9)に58歳の栄西が,禅宗は天台宗の最澄の教学に背くものではないとして,経・律・論(とくに天台宗の古徳の論釈)のなかに説かれている禅の要旨をのべる。禅をおこすことは王法護国をもたらすと考え,「仁王護国般若波羅蜜経」の題号を用いて書名とした。第1令法久住門,第2鎮護国家門,第3世人決疑門,第4古徳誠証門,第5宗派血脈門,第6典拠増信門,第7大綱勧参門,第8建立支目門,第9大国説話門,第10回向発願門からなる。「日本思想大系」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
… これに反感を抱いた筥崎の良弁や比叡山の意向をうけ,朝廷は94年達磨宗停止の宣旨を下し,大日房能忍のそれと合わせて栄西の禅宗を禁じている。これに対する反論と主張は98年《興禅護国論》にまとめられた。栄西は,禅宗が末法の時代にこそふさわしく,鎮護国家にいかに有用かを説き,比叡山における禅の先蹤を明らかにして巧みにその非難をかわし,朝廷はこの禅宗の弘通を勅許すべきだと論じている。…
…摂関政治・院政期には鎮護国家の概念に代わって,むしろ王法仏法(王法)の観念が強まってくるが,鎌倉時代には禅宗,日蓮宗の勃興とともに仏法による護国論が提起された。栄西は《興禅護国論》を著して禅院の建立は国家を守護し民衆を利するものとし,道元は永平寺を建立してこれを実践したし,日蓮は《立正安国論》《守護国家論》を著した。1338年(延元3∥暦応1)から足利氏が諸国に設けた安国寺は,〈安国利生〉に基づく創建で,これも南北朝動乱の終焉を祈るとともに国家の安寧平和を目的としたものであった。…
※「興禅護国論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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