日本大百科全書(ニッポニカ) 「芝居年中行事」の意味・わかりやすい解説
芝居年中行事
しばいねんじゅうぎょうじ
江戸時代、歌舞伎(かぶき)の劇場を中心に、定例として行われた諸行事。宝暦(ほうれき)・明和(めいわ)(1751~72)のころに形がほぼ定着したものと思われる。
元日は座元の「翁渡(おきなわた)し」「仕初(しぞ)め」の古式によってあける。正月の芝居を「初春(はつはる)狂言」といい、古くは2日初日、のちに多く15日初日になる。上方(かみがた)では、このころ「二の替り」の狂言を始めることが多い。江戸では享保(きょうほう)(1716~36)以後三座ともに曽我(そが)の世界を扱い、上方ではかならず傾城買(けいせいかい)の場面を仕組み「けいせい」の文字を外題(げだい)につけることになっていた。2月初午(はつうま)の日は稲荷町(いなりまち)とよんだ下級俳優が中心となり、楽屋全体で稲荷祭の酒宴を行う。3月3日は「弥生(やよい)狂言」の初日。この興行は宿下がりの御殿女中の見物を当て込んで、『先代萩(せんだいはぎ)』や『加賀見山』のような御殿物がよく出た。『助六(すけろく)』もこの時期に出された。5月5日は「皐月(さつき)狂言」の初日。仇討物(あだうちもの)が多い。5月28日は曽我祭(まつり)。楽屋で酒宴を開き、そのあと万灯などを持って町内を練り歩いた。6、7月は原則として「土用休み」で、芝居を休む。7月中旬あるいは八朔(はっさく)(8月1日)を初日として「盆狂言」がある。今日のいわゆる夏狂言で、水仕合い・怪談物・早替りなどに趣向を凝らした作品が演じられた。9月は9日初日で「菊月(きくづき)狂言」を始める。その年度の俳優の契約最後の興行となる。契約が切れると江戸を離れる俳優は、お名残(なごり)狂言・一世一代などの称をつけて得意の狂言や所作事を出すことがあった。この興行は10月16日に舞い納めるのが例で、この日を「千秋楽」とよんだ。9月12日の顔見世狂言の「世界定め」、10月17日の「寄初(よりぞ)め」など、これから年間を通じての最大行事である顔見世(かおみせ)興行の準備に関する諸行事が続く。顔見世興行の初日は11月1日で、12月10日前後には舞い納めた。12月は煤(すす)取りから餅搗(もちつ)きなどの年末の行事、さらには初春狂言を華やかに行うための準備に明け暮れる。上方では「二の替り」興行を重視する古例があり、それに伴う諸種の行事が行われた。
芝居年中行事は、多くの年中行事がそうであるように、民俗行事が近世都市社会に流入して形を変えたものであるが、水ものとされた不安定な興行の安全を願うための宗教儀礼的色彩が濃い点に特色がみえている。
[服部幸雄]
『『芝居年中行事集』(1976・国立劇場芸能調査室)』