能楽堂や演芸場や演奏場なども含めた,広い意味での〈劇場〉において,俳優,役者,楽人,落語家,舞踏家(踊子)などの演者と,その関係者が,演技のための支度(したく)(化粧,衣装つけなど)をしたり,休養したり,ときにさまざまな打合せをしたりするための場所。多くの場合,舞台の後部あるいは背後にあって,なんらかの形(幕や板仕切りや壁など)で仕切られている。欧米の演劇史で,この〈楽屋〉(たとえばギリシア語でskēnē,英語でdressing roomとかbackstageと呼ぶ場所)の構造やその劇場(ひいてはそれが置かれた社会)の中に占める位置が,とりたてて問題にされることはあまりないが,日本の伝統演劇ではやや事情が異なる。いくつかの民俗芸能で,楽屋が人間以外のものに変身する場所ということから神聖視されることを別にしても,歌舞伎の盛んな時代を中心にして生まれ,今日もなおふつう一般に用いられる語句,すなわち〈楽屋内(うち)〉〈楽屋裏〉〈楽屋落ち〉〈楽屋から火を出す〉といった言葉が示すように,楽屋はその〈うち〉にあるか〈そと〉にあるかの区別が(それを包含する劇場同様に),強く意識された特殊な空間であったと考えることができよう。しかし今日では,楽屋のそのような性格は,伝統演劇も含めおしなべて〈平板化〉しており,多くの多目的ホールの〈楽屋〉がそうであるように,単に〈控え室〉以上の意味はもたぬ場合も少なくない。
→劇場 →舞台
執筆者:編集部
古くは楽之屋(がくのや)ともいう。舞楽のときに楽人の演奏する場所,また,舞人が装束を着ける場所でもあり,楽人と舞人が休息する場所も含めて〈楽屋〉と呼ぶ。神楽(かぐら),舞楽,管絃など音楽の種類や演奏場所(野外,室内,船など)によって常設のものと臨時のものとある。標準的な楽屋は舞台をはさんで正面の観覧席と向かい合って作られ,まわりに赤と黒のだんだら幕を張る。舞台に向かって左を左方楽屋(さほうのがくや),右を右方楽屋(うほうのがくや)といい,左右それぞれの舞人が出入りするが,一つの楽屋で左右を兼ねる略式のときもある。一般には楽屋の前の方を楽人の演奏場所,間仕切りをした後ろの方を装束の着用場所および楽人と舞人の休息場所とすることが多い。
執筆者:加納 マリ
能舞台の楽屋は舞台の裏に位置し,鏡の間から奥右,切戸(きりど)の方向に向かって,シテ方,ワキ方,狂言方,囃子方の順に各室が設けられ,畳敷きで毛氈(もうせん)がのべられている。出演者の控えの間であり,装束付けの間でもあり,囃子方の部屋には大鼓の革を焙(ほう)じるため,つねに炭火をおこした火鉢が用意されている。
執筆者:羽田 昶
人形浄瑠璃と歌舞伎が興隆した江戸時代には,劇場の構造と機構が整備されていくにつれ,楽屋もしだいに複雑となり,多くのしきたりにもとづいて配置が細分化していった。先行の能舞台を踏襲していたもっとも初期の歌舞伎劇場では,能舞台と同様に〈後座(あとざ)〉の背後を,はじめは幕で,次いで板で囲って俳優の共同のたまり場としていた。しかし,俳優の役柄が立役,女方と分かれ,さらに身分がこまかく区分されていくにしたがい,座頭(ざがしら)や幹部俳優の個室,大部屋などがつくられ,また裏方もおのおのの職掌にもとづいて頭取部屋,作者部屋,囃子,大道具,小道具,衣装部屋……などの個室をそれぞれ必要とするようになり,頭取がそれらのすべてを総括した。こうして明治末期ころまで歌舞伎劇場の楽屋は,きびしい規律によって秩序が保たれていたのである。江戸時代の歌舞伎劇場の構造は,法規上制約が多くあって,1階には芝居の守護神といわれる稲荷大明神をまつり,〈稲荷町〉と呼ばれるその他大勢といった新入りの俳優たちの大部屋と,頭取,狂言作者,囃子方,大道具,小道具,衣装方など舞台関係者の部屋に区画され,2階以上がおもな俳優の部屋ときめられていた。2階は女方の部屋で,いちばん奥に立女方の部屋があり,その他の女方の〈中二階〉と呼ぶ部屋があった。江戸時代には3階建ての劇場建築は許可されていなかったので,実際に2階にあたるところを中二階と称し,3階を表向き2階と呼んでいた。今日でも下座の女方俳優を〈中二階〉と呼称するのは,こうした区分の名残りである。そのため女方の下級俳優は,3階の大部屋に入れないことが慣習となっていた。3階はすべて立役の部屋で,いちばんつきあたりに座頭部屋があり,序列によって立役の部屋がつづき,広い空間をもつ大部屋があった。この大部屋は,名題下,相中(あいちゆう)と呼ばれる下座俳優が席次にしたがって雑居し,中央に囲炉裏があった。顔寄せから初日までの間,舞台稽古を除いて,本読み,付立,総ざらいなど稽古を行う場所としても利用された。
裏方のなかでとくに床山(結髪師)は,立役担当は3階に,女方担当は2階に仕事部屋を置き,公演中の便に資するように配置されていた。楽屋の入口(通称裏木戸という)には口番(くちばん)がいて,楽屋への出入りをチェックし,頭取部屋に所属する楽屋番が関係者の雑用にあたった。また大道具,小道具,衣装方などの詰める各部屋は,開演にそなえて仕込みにあたるとともに,公演中には担当者が配属されて幕ごとのセッティングや着付に従事するので,作業しやすいように居住性も重んじられた。とくに上方では江戸よりも俳優や裏方にとって,楽屋は公演に関する仕事のための部屋,休息の場所という以上に,私生活の主要な場としての性格が重視される傾向が強かった。
執筆者:藤波 隆之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
劇場または芸能の演じられる場所で、演技者、演奏者など舞台の関係者が準備をしたり、休息したりするための施設をいう。この名称は、舞楽(ぶがく)において、楽人(がくにん)が舞台の後方の幕の内で楽を演奏した場所を「楽之屋(がくのや)」とよんだことに始まる。幕や屏風(びょうぶ)で間仕切りをして、一方で舞人が装束を着けたり、休息したりするためにも用いられた。これが後世の能や歌舞伎(かぶき)に引き継がれ、劇場構造の整備とともに独特の構造を備えるようになり、さまざまなしきたりをもつようになった。ただし能では、囃子方(はやしかた)が舞台上の定められた位置に出て演奏するため、楽屋はもっぱら演技者の準備と休息のための場所となり、名称と実態とが離れた。歌舞伎はこの様式を受け継ぎ、やがて囃子は下座(げざ)とよぶ別の場所に入って演奏するようになる。歌舞伎の劇場では、初期には能の場合と同じく、舞台の後方の「後座(あとざ)」の背後を幕で仕切り、ここを演技者のたまり場すなわち楽屋にしていた。芝居の内容が複雑化し、組織が大きくなり、楽屋の職分が分化してくると、俳優の役柄や身分、衣装、床山(とこやま)、小道具などの職掌による個室を必要とするに至り、内部構造はしだいに複雑になった。
江戸時代の楽屋は3階建てを原則としたが、3階建築は許可されなかったため、実際の3階を「本二階」、2階を「中二階(ちゅうにかい)」と名づけ、表向き2階建てを装っていた。その1階は「稲荷町(いなりまち)」とよぶ最下級の俳優の部屋以外は舞台関係者の部屋にあてられ、頭取(とうどり)部屋、作者部屋、囃子部屋、大道具部屋、小道具部屋、衣装部屋などがあった。女方(おんながた)は中二階と定め、その奥に一座の立女方(たておやま)の部屋があった。本二階には奥に座頭(ざがしら)の部屋、それに続いてその他の立者(たてもの)の部屋が並び、さらに名題(なだい)役者以下の俳優が雑居する「大部屋」があった。大部屋は開場前の稽古(けいこ)や諸種の劇場行事にも使われた。ここは初期の単純な楽屋の時代の中心であった場所で、中央にいろりがあり、神聖視されていた。
楽屋の構造は、江戸と上方(かみがた)とで違いがあり、上方は原則的に2階建築になっていた。上方の楽屋の特徴は、控え室、休息所という性格を越えて、俳優の私生活の場としての性格が濃く、室内装飾や調度品に強く俳優の好みが反映している点であった。この傾向は明治末期以後、東京にも伝わった。なお、「楽屋」の呼称は民俗芸能にも古い用法の例が残っており、変身の場として神聖視される傾向がある。また、現代一般語に内幕(うちまく)、内緒など他人にみせたくない裏面を表すことばとして、楽屋内、楽屋裏などとも使われている。
[服部幸雄]
西洋では、古代のギリシア劇場におけるスケネskeneが楽屋の始まりとされている。スケネは、円形のオルケストラ(合唱隊(コロス)の演技場)後方に設けられた方形の小屋で、臨時のテント張りのものから石造の常設のものまであった。前面の一部が舞台背景ないし出入口として用いられ、内部は俳優の控え所となっていた。近世以降、舞台や客席が屋内に移るにつれて楽屋の構造も変化したが、機能的にはほとんど変わらず、ドレッシング・ルームdressing room、アンクライデラウムAnkleideraum(ドイツ語)、ロッジュ・ダルチストloge d'artistes(フランス語)のように、もっぱら俳優のための化粧、着替え室の意味に用いられている。
[大島 勉]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…揚幕の奥は鏡の間と呼ぶ板の間で,大きな鏡が据えてある。楽屋で扮装を終わった演者は,この鏡の前で能面をつけ,姿を整えて出を待つ。とくにシテは葛桶(かずらおけ)に腰掛け,鏡に向かって精神を集中しながら役に成りいることに努める。…
※「楽屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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