新撰 芸能人物事典 明治~平成 「芦田伸介」の解説
芦田 伸介
アシダ シンスケ
- 職業
- 俳優
- 肩書
- 芦田プロダクションズ代表
- 本名
- 芦田 義道
- 生年月日
- 大正6年 3月14日
- 出生地
- 島根県 松江市
- 学歴
- 東京外国語学校マレー語科中退
- 経歴
- 生家は松江藩の典医や剣道指南役を務めた家柄で、父は剣道教師。5人きょうだいの二男。昭和5年父を亡くし、上京して東京外国語学校のマレー語学科に入学。13年満州へ渡り、満州電業に勤める傍ら、新京放送劇団に入る。この頃の仲間に俳優の森繁久弥がいる。敗戦後、妻と生まれたばかりの一人娘を連れて逃避行を重ね、21年引き揚げ。帰国後は演劇活動を再開し、23年コッコ座を旗揚げ。24年劇団民芸に入団。舞台を中心に活躍し、映画にも出演、25年からは全盛期の日活映画の常連となった。33年交通事故で顔を147針も縫う重傷を負い、失語症にも苦しむが再起。36〜54年のTBS「七人の刑事」、41年のNET「氷点」などで人気が高まる。45年民芸を退団。以来、舞台、映画、テレビに中年の二枚目として活躍した。平成元年頃からC型肝炎、肝臓がんを患い闘病生活を続けるが、10年19年ぶりに復活したテレビドラマ「七人の刑事」に出演。9年日本新劇俳優協会副会長。他の出演作に、映画「戦争と人間」「人間革命」「柳生一族の陰謀」「小説吉田学校」「千利休 本覚坊遺文」、テレビ「娘と私」「海峡物語」「寝たふりしてる男たち」、舞台「夜明け前」「帰郷」「どん底」「鹿鳴館」など。一人娘は俳優の松山英太郎と結婚したが、のち離婚。孫の芦田由夏、芦田昌太郎も女優、俳優として活躍する。自伝「ほろにがき日々」「歩いて走ってとまるとき」がある。
- 受賞
- 勲四等瑞宝章〔平成1年〕 日本放送作家協会賞,ゴールデン・アロー賞(取材協力賞)〔昭和41年〕
- 没年月日
- 平成11年 1月9日 (1999年)
- 家族
- 孫=芦田 由夏(女優),芦田 昌太郎(俳優)
- 伝記
- 品格と色気と哀愁とふりむけば昭和―城卓矢から藤尾茂まで四十二人を語る“昭和脇役列伝”「七人の刑事」を探して1961‐1998色いろ花骨牌(カルタ)夫と妻のきずな〈中〉激動の昭和を生きた夫婦の記録みんな日活アクションが好きだった 森繁 久彌 著立石 一夫 著羊崎 文移 著黒鉄 ヒロシ 著中島 力 著大下 英治 著(発行元 朝日新聞出版鶴書院,星雲社〔発売〕今日の話題社講談社国書刊行会廣済堂出版 ’09’06’06’04’03’99発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報