新撰 芸能人物事典 明治~平成 「花柳寿楽」の解説
花柳 寿楽(2代目)
ハナヤギ ジュラク
- 職業
- 日本舞踊家
- 肩書
- 花柳流家元(3代目)後見,日本舞踊協会副会長,錦会主宰 重要無形文化財保持者(歌舞伎舞踊)〔平成4年〕,日本芸術院会員〔平成15年〕
- 本名
- 青山 次郎(アオヤマ ジロウ)
- 別名
- 前名=花柳 錦之輔(初代)(ハナヤギ キンノスケ)
- 生年月日
- 大正7年 3月7日
- 出生地
- 東京市 神田区(東京都 千代田区神田)
- 学歴
- 日本俳優学校〔昭和12年〕卒
- 経歴
- 講談師の3代目錦城斎典山の二男。義兄は歌舞伎俳優の13代目片岡仁左衛門、日本舞踊家の2代目花柳寿輔(花柳寿応)で、大正13年より花柳流2代目家元の2代目寿輔に舞踊を習う。昭和6年初舞台。少年時代は花屋になりたくて園芸学校に合格したが、芸の世界の家族に説かれ、7年6代目尾上菊五郎が創設した日本俳優学校に学んだ。14年花柳錦之輔を名乗り、17年からは宝塚歌劇団の振付も手がける。格調の高さとあでやかさを併せ持ち、花柳流の名手として歌舞伎舞踊を伝承する傍ら、モダンダンスやバレエの要素を取り入れるなど創作舞踊にも意欲をみせた。代表作に「安達ケ原」「土蜘」、創作舞踊に「木賊」「かたゐの女御」「一人の乱」「釣狐」「悲しい幻想曲」など。40年初代花柳寿輔の俳名だった寿楽に改名、花柳流3代目家元を後見した。海外公演も行い、59年には国際交流基金主催の日本舞踊アジア派遣団の芸術監督として3週間でインド、フィリピン、シンガポール、インドネシアの各国を巡った。平成4年人間国宝。15年日本芸術院会員。著書に「日本舞踊」「踊りの心」などがある。
- 所属団体
- 日本舞踊協会
- 受賞
- 芸術選奨文部大臣賞〔昭和38年〕,日本芸術院賞(第44回 昭62年度)〔昭和63年〕 紫綬褒章〔昭和48年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和62年〕,旭日中綬章〔平成17年〕 芸術祭賞奨励賞〔昭和27年・28年・35年・38年〕,舞踊芸術賞〔昭和39年〕,花柳寿応賞〔昭和49年〕,松尾芸能賞(特別賞 第12回)〔平成3年〕,舞踊批評家協会賞〔平成4年〕
- 没年月日
- 平成19年 1月7日 (2007年)
- 家族
- 父=錦城斎 典山(3代目)(講談師),長男=花柳 錦之輔(2代目),二男=青山 良彦(俳優),孫=花柳 寿楽(3代目),花柳 典幸(日本舞踊家)
- 親族
- 義兄=片岡 仁左衛門(13代目),花柳 寿応(=2代目花柳寿輔)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報