デジタル大辞泉
「芹沢光治良」の意味・読み・例文・類語
せりざわ‐こうじろう〔せりざはクワウヂラウ〕【芹沢光治良】
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芹沢 光治良
セリザワ コウジロウ
昭和期の小説家
- 生年
- 明治29(1896)年5月4日
- 没年
- 平成5(1993)年3月23日
- 出生地
- 静岡県駿東郡楊原村(現・沼津市)
- 学歴〔年〕
- 東京帝大経済学部〔大正11年〕卒,ソルボンヌ大学〔昭和3年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 「改造」懸賞創作1等(第3回)〔昭和5年〕「ブルジョア」,文学界賞(第12回)〔昭和12年〕「現代大衆文学の性格(特集)」(島木健作ほか3名と共に),芸術選奨文部大臣賞(文学・評論部門 第15回)〔昭和39年〕「人間の運命」,勲三等瑞宝章〔昭和42年〕,日本芸術院賞(文芸部門 第25回)〔昭和43年〕「人間の運命」,フランス芸術文化勲章コマンドール章〔昭和49年〕
- 経歴
- 大正11年農商務省に入るが、14年に退職し、フランスに留学、ソルボンヌ大学で学ぶ。昭和2年卒論完成直後に結核で倒れ、スイスで療養し、4年に帰国。5年「ブルジョア」が「改造」の懸賞小説に一等当選する。中央大学の講師をしていたが、7年に退職し、以後作家として活躍。「愛と死の書」「巴里に死す」「教祖様(おやさま)」「人間の運命」「人間の幸福」などの作品がある。「人間の運命」は全14巻の自伝的書下ろし大河小説で、39年芸術選奨を受賞、全巻完結した43年に日本芸術院賞を受賞。10年に設立された日本ペンクラブでも活躍し、戦後は日本代表としてしばしば海外にとび、副会長を経て、会長を3期(40〜49年)つとめた。60年神の声を聞く体験をしてからは「神の微笑」「神の慈愛」など神シリーズを執筆。「芹沢光治良作品集」(全16巻)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
芹沢光治良
せりざわこうじろう
(1897―1993)
小説家。明治30年5月4日、静岡県楊原(やなぎはら)村(沼津市)に生まれる。父が天理教に入信し、全財産を神に捧(ささ)げたので、叔父の家で育てられた。他人の援助を受けて、第一高等学校、東京帝国大学に学び、経済学部を卒業。農商務省の官吏を経て、フランスに留学。滞仏中結核にかかり、スイスで療養。その療養生活を素材とした『ブルジョア』(1930)が『改造』の懸賞小説に一等当選、文壇にデビューした。続いて『明日を追うて』(1931)、『椅子(いす)を探す』(1932)、『橋の手前』(1933)などを発表、そのリアルな良心的作風で同伴者作家と目された。昭和10年代は、戦争の時代を背景にした『愛と死の書』(1939)、パリを背景に女性の生き方を描いた『巴里(パリ)に死す』(1942)などの長編小説で注目された。第二次世界大戦後は、ペンクラブの代表として活躍のかたわら、長編の自伝小説『人間の運命』(1962~68)を完成。代表作が相次いで仏訳され、国際的に知名の作家となった。
[山田博光]
『『芹沢光治良作品集』全16巻(1974~80・新潮社)』
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芹沢光治良
せりざわこうじろう
[生]1896/1897.5.4. 静岡,楊原
[没]1993.3.23. 東京
小説家。 1922年東京大学経済学部卒業。3年後渡仏しパリ大学経済学部に入学したが,病を得て 29年帰国。在仏時代の経験に基づく『ブルジョア』 (1930) を発表,作家生活に入った。知性と抒情の調和したフランス的な作風で知られ,新興芸術派の有力メンバーとして『明日を追うて』 (31) ,『椅子を探す』 (32) ,『橋の手前』 (33) などを発表,革命運動に対する良心的知識人の立場を貫いて同伴者作家と呼ばれた。『愛と死の書』 (39) ,『巴里に死す』 (42) などで注目されたが,『巴里に死す』や『一つの世界』 (52~53) その他のフランス語訳で日本よりもむしろ国際的評価の高い作家である。そのほか天理教始祖中山みきの伝記『教祖様』 (49~57) ,自伝的大河小説『人間の運命』 (62~68) など。 65~74年日本ペンクラブ会長。 69年日本芸術院賞受賞。芸術院会員。
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芹沢光治良 せりざわ-こうじろう
1896-1993 昭和時代の小説家。
明治29年5月4日生まれ。農商務省勤務をへて,フランスに留学。昭和5年小説「ブルジョア」で作家活動にはいる。「巴里(パリ)に死す」などがフランス語訳されている。40年日本ペンクラブ会長。44年芸術院賞。45年芸術院会員。平成5年3月23日死去。96歳。静岡県出身。東京帝大経済学部卒。作品に「人間の運命」など。
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芹沢光治良【せりざわこうじろう】
小説家。静岡県生れ。東大経済学部卒。フランスに留学し,帰国後の1930年,《ブルジョア》が雑誌《改造》の懸賞小説に当選,文壇に出た。郷里や父母を扱った作品と,在欧生活に取材した作品がある。代表作は《巴里に死す》,自伝的教養小説《人間の運命》など。
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芹沢 光治良 (せりざわ こうじろう)
生年月日:1896年5月4日
昭和時代の小説家。日本ペンクラブ会長
1993年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の芹沢光治良の言及
【改造】より
…いっぽう,文芸欄は文壇の登竜門としての権威をもち,志賀直哉《暗夜行路》,中条(宮本)百合子《伸子》,芥川竜之介《河童》などの名作も生まれた。評論家の宮本顕治,小林秀雄,作家の芹沢光治良らが懸賞評論,懸賞小説から文壇に出ている。改造社は《女性改造》(1922‐24,46‐51),《文芸》(1933‐44)などの雑誌も発行したほか,単行本の出版もし,いわゆる[円本]時代の端緒をひらき,29年には《改造文庫》を発刊した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」