デジタル大辞泉
「若乃花幹士」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
若乃花幹士
わかのはなかんじ
(1928―2010)
第45代横綱。昭和3年3月16日青森県弘前(ひろさき)市に生まれる。本名花田勝治(かつじ)。小学1年生のとき生家が破産し、一家は北海道室蘭(むろらん)市に移住した。少年のころから港湾労働に従事し、生計を助けた。1946年(昭和21)大ノ海(1916―1981。後の花籠(はなかご))にみいだされて二所ノ関部屋に入門、1950年に入幕した。のち花籠部屋に転じ、1958年1月に横綱免許を得た。全盛期は177センチメートル、116キログラムと増量したが、横綱としては歴代中もっとも軽量であった。好敵手栃錦(とちにしき)と多彩な土俵をみせ、「栃若時代」を築き、人気を集めた。優勝回数10回(全勝1回)、入幕後546勝235敗4引分けの記録を残した。1962年引退して二子山(ふたごやま)部屋(後の貴乃花部屋)を創立。大関貴ノ花(たかのはな)(1950―2005。後の二子山親方・実弟)、横綱2代目若乃花(1953―2022。後の間垣(まがき)親方)、横綱隆の里(1952―2011。後の鳴戸(なると)親方)、大関若嶋津(1957― 。後の松ヶ根(まつがね)親方)らを育てた。1988~1992年(平成4)日本相撲(すもう)協会理事長。
[向坂松彦]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
若乃花幹士
わかのはなかんじ
[生]1928.3.16. 青森,弘前
[没]2010.9.1. 東京,新宿
第45代横綱。本名花田勝治。1946年11月に初土俵を踏み,1950年1月に新入幕。軽量ながら強靭な足腰でがっぷりと組むとびくともしなかった。正攻法の四つ相撲を通し,左四つの右上手投げ,右四つの豪快な呼び戻しはファンを熱狂させ,「土俵の鬼」の異名をとった。1958年1月場所後に横綱に昇進,ライバルの横綱栃錦(→栃錦清隆)とともに「栃若時代」を築いた。1962年5月引退,優勝 10回のうち全勝 1回。花籠部屋から独立して二子山部屋を創設し,2代目若乃花,隆の里の 2横綱,実弟の貴ノ花,若嶋津の 2大関ら多くの関取を育てた。貴ノ花の息子である 3代目若乃花,貴乃花の兄弟横綱の伯父。1988年春日野清隆理事長の勇退をうけて日本相撲協会理事長に就任,1992年に勇退して相談役となる。1993年二子山部屋と藤島部屋とを合併し,年寄名も兄弟で交換した。1993年3月に相撲協会を定年退職したのち相撲博物館館長に就任,1996年まで務めた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
若乃花幹士(初代) わかのはな-かんじ
1928-2010 昭和時代後期の力士。
昭和3年3月16日生まれ。貴ノ花利彰の兄。昭和21年二所ノ関部屋に入門,のち花籠(はなかご)部屋。25年入幕。軽量ながら猛げいこで足腰をきたえ,33年45代横綱となる。呼び戻しなど豪快な技で「土俵の鬼」とよばれ,栃錦とともに栃若時代をきずく。37年引退。優勝10回。二子山部屋をおこす。63年日本相撲協会理事長。平成5年相撲博物館館長。平成22年9月1日死去。82歳。青森県出身。本名は花田勝治。
若乃花幹士(2代) わかのはな-かんじ
1953- 昭和時代後期の力士。
昭和28年4月3日生まれ。昭和43年二子山部屋に入門。48年入幕。天性の足腰の柔らかさ,懐の深さで,3場所連続技能賞を受賞するなど活躍し,51年大関。53年56代横綱となり,若三杉のしこ名から2代若乃花幹士を襲名。58年引退。優勝4回。間垣部屋をおこした。平成10年日本相撲協会理事。20年大麻所持で逮捕された若ノ鵬の監督責任問題により理事を辞任。青森県出身。本名は下山勝則。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
若乃花幹士【わかのはなかんじ】
力士。本名花田勝治。青森県生れ。二所ノ関部屋,花籠部屋所属。1946年初土俵,1950年入幕,1958年第45代横綱。優勝10回。栃錦(栃錦清隆)とともに〈栃若時代〉を築き,軽量ながら強靭(きょうじん)な足腰と気迫にあふれる相撲で〈土俵の鬼〉と称された。1962年引退後は二子山親方として2代目若乃花,弟貴ノ花らの力士を育て,日本相撲協会理事長を務めた。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
若乃花 幹士(初代) (わかのはな かんじ)
生年月日:1928年3月16日
昭和時代の元・力士(第45代横綱)
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報