日本大百科全書(ニッポニカ) 「若桑みどり」の意味・わかりやすい解説
若桑みどり
わかくわみどり
(1935―2007)
美術史家。東京生まれ。英文学者の山本政喜(まさき)(1899―1960。筆名、柾不二夫(まさきふじお))を父に、ロシア文学、比較文学者の川端香男里(かおり)(1933―2021)を兄にもつ。1960年(昭和35)東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。1962年同大学院美術研究科芸術学専攻修士課程修了。1962~1964年、イタリア政府給費留学生としてローマ大学に留学、帰国後の1966年東京芸術大学音楽学部講師に着任し、その後同助教授、教授を歴任。千葉大学教養学部教授(1988~2001。その後名誉教授)を経て、2001年(平成13)に川村学園女子大学教授に着任した。また放送大学でもイメージ論の講義を受けもった。
西洋美術史を専門とし、とくにイタリアのルネサンス期やバロック美術については造詣(ぞうけい)が深い。留学から帰国後、当時はまだ少なかった女性美術史家の草分けとして頭角を現し、狭い地域性や時代区分にとらわれない独自のマニエリスム研究やイコノロジー(図像学)研究で、美術史学界の枠を越えた注目を集めた。1986~1990年には、イタリアのシスティナ礼拝堂でミケランジェロ作の天井画の調査を実施した。
また、主婦業と研究活動を両立した経験を踏まえて研究会「イメージ&ジェンダー」を組織するなど、フェミニズムやジェンダー論の論客としても知られ、女性問題や歴史教科書問題等について積極的に発言するなど、その関心や活動の幅はかならずしも美術史だけに収まらなかった。とはいえ、本人は自分の本分が表象研究にあることを強く意識しており、その研究の核心は「芸術に表された寓意(ぐうい)を読み取ることは、知的で煩雑な仕事ではなく、人類が自己の存在の核心で納得している、いくつかの原初的なイメージにたどりつくことを意味する」ということばのなかに集約されていた。
著書では、編著『寓意と象徴の女性像』(1980)がサントリー学芸賞を、『薔薇(ばら)のイコノロジー』(1984)が芸術選奨文部大臣賞を受賞した。そのほかにも『マニエリスム芸術論』(1980)、『都市のイコノロジー』(1990)、『光彩の絵画』(1993)、『戦争が作る女性像』(1995)、『皇后の肖像』(2001)などの著書、アーノルド・ハウザーArnold Hauser(1892―1978)の『マニエリスム』Mannerism(1970。原著1964)、マリオ・プラーツ『官能の庭』Il giardino dei sensi(1992。原著1975)ほかの翻訳など、多くの優れた業績を残した。欧米の大学でも日本の女性像について講義し、1996年にはイタリア政府よりカバリエレ勲章を受章するなど、その仕事に対する評価は海外でも高かった。2003年、紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章。2007年、心不全のため死去。『聖母像の到来』(2008)が遺著となった。
[暮沢剛巳]
『『都市のイコノロジー』(1990・青土社)』▽『『光彩の絵画』(1993・哲学書房)』▽『『皇后の肖像』(2001・筑摩書房)』▽『『薔薇のイコノロジー』新版(2003・青土社)』▽『『マニエリスム芸術論』『戦争が作る女性像』(以上ちくま学芸文庫)』▽『若桑みどり責任編集『寓意と象徴の女性像』(1980・集英社)』▽『アーノルド・ハウザー著、若桑みどり訳『マニエリスム――ルネサンスの危機と近代芸術の始源』上中下(1970・岩崎美術社)』▽『マリオ・プラーツ著、若桑みどり他訳『官能の庭――マニエリスム・エンブレム・バロック』(1992・ありな書房)』