草津宿本陣(読み)くさつじゅくほんじん

共同通信ニュース用語解説 「草津宿本陣」の解説

草津宿本陣

滋賀草津東海道五十三次の52番目の宿場町東海道中山道分岐点に当たる。草津宿本陣国史跡明治時代までの約180年分の記録が残っており、1699年には忠臣蔵で知られる浅野内匠頭吉良上野介が9日違いで利用したほか、1861年には皇女和宮が徳川家に嫁ぐ際に昼食を取ったことが分かっている。

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国指定史跡ガイド 「草津宿本陣」の解説

くさつじゅくほんじん【草津宿本陣】


滋賀県草津市草津にある本陣跡。旧東海道に面して現存する田中七左衛門本陣の主要部は、1718年(享保3)に膳所(ぜぜ)藩瓦(かわら)の浜御殿を移築したもので、1839年(天保10)に木造瓦葺き平屋建ての建物の上段の向きを建て替えた。草津宿は近世の東海道五十三次で52番目の宿駅であり、五街道のなかでも重要な街道と位置づけられた東海道と中山道の合流・分岐点で、わが国近世交通の要衝だった。1843年(天保14)の記録では、家数586軒、本陣2、脇本陣2、旅籠屋72軒を数え、江戸と京を往来する旅人物資で宿場はにぎわいをきわめた。草津宿の本陣としては江戸時代を通じて田中七左衛門本陣と田中九蔵本陣の2つが設けられ、公家や大名をはじめとする貴人の休息所や宿泊施設として機能した。九蔵本陣は現存していないが、七左衛門本陣は草津川に隣接する宿場として1町目西側に位置し、幕末の絵図などによれば、表間口14間半(約26.1m)、奥行き62間(約111.6m)、屋敷地1305坪、建坪468坪で、建物は街道から向かって左側に休泊者のための座敷棟、右側に田中家の住居棟、敷地奥には厩(うまや)と土蔵が配され、周囲は西側に高塀、北側と東側には堀や藪を配していた。1870年(明治3)に宿駅制度が廃止されると本陣としての機能を失い、郡役所や公民館として利用されて建物の改変が行われたが、江戸時代の敷地と本陣建物の保存状態がよく、わが国近世の交通を知るうえで重要なことから1949年(昭和24)に国の史跡に指定され、2007年(平成19)に敷地北側と東側の敷地を画する堀部分について追加指定を受けた。JR東海道本線草津駅から徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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