草茅危言(読み)そうぼうきげん

改訂新版 世界大百科事典 「草茅危言」の意味・わかりやすい解説

草茅危言 (そうぼうきげん)

江戸中期,大坂儒者中井竹山の著。5巻。1789年(寛政1)成立。老中松平定信近畿巡検の際諮問うけ,幕藩体制下の政治,経済,社会等の諸問題に関し答申した65項目の意見書。題名は〈在野人の直言〉を意味する。王室制度,参勤交代・国替など武家制度,教育,貨幣物価,福祉,治安問題などに提言を述べ,冗費節倹秩序の維持,風教の振興を図り,寛政改革に影響を与えたという。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「草茅危言」の意味・わかりやすい解説

草茅危言
そうぼうきげん

江戸後期の儒学者中井竹山(ちくざん)の著作。5巻。1788年(天明8)、時の大老松平定信の諮問(しもん)に応じて書いたもので、翌1789年(寛政1)に一部を脱稿して献上、91年に全巻を脱稿した。内容は、王室、国家制度、参勤交代、国替(くにがえ)、諸侯大借、御麾下(きか)、外舶互市、朝鮮、琉球(りゅうきゅう)、蝦夷(えぞ)、金銀幣(へい)、水利、物価、常平倉(じょうへいそう)、社倉、戸口、窮民、米相場、寺社富(とみ)、米仲仕(なかし)、町中馬方仲仕、捨子、身上限などで構成されており、幕藩制の本質にかかわる政治・経済・社会政策など経世上の諸問題が多岐にわたって建策されている。なかでも特徴的なのは、広く一般庶民の生活に言及していることである。これは、竹山が大坂町人の学塾懐徳堂(かいとくどう)で長く教えていた経験に基づくものである。

[上田 穣]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「草茅危言」の解説

草茅危言
そうぼうきげん

江戸後期,大坂の懐徳堂の儒者中井竹山(ちくざん)の著。1789年(寛政元)老中松平定信の諮問に応じ,幕政改革案をまとめ呈上した。内容は王室のことに始まり,公家百官・国家制度・経済・治水・寺社・民間風俗にわたる,きわめて具体的な改革案である。とくに参勤交代制や武士の俸給世襲制の廃止論など,武士階級への大胆な批判がみられ,また無鬼論にもとづく排仏政策,あるべき皇室の姿への提言など,民間の儒者の視点から儒家的治政の理想を追求したものとして注目される。「日本経済大典」「日本経済叢書」所収。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「草茅危言」の意味・わかりやすい解説

草茅危言
そうぼうきげん

江戸時代後期の儒学者中井竹山が平常の意見をまとめて,寛政1 (1789) 年松平定信に提出した文書。 10巻。国家制度,参勤交代,諸侯分地,諸侯大借,外船互市,水利,金銀幣,銭幣,物価,常平倉,社倉,戸口,養老,窮民,米相場,寺社富,米仲仕,中馬方仲仕,身上限などを取上げて論じている。荻生徂徠の『政談』,太宰春台の『経済録』と並び称される。

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四字熟語を知る辞典 「草茅危言」の解説

草茅危言

民間にあるものが政治を鋭く批判する、苦言を呈すること。

[解説] 「草茅」は「くさ」と「かや」で、転じて民間、在野という意味。「危言」の「危」は激しいという意味で、激しい苦言、または、身の危険を恐れずに強くいさめることをいいます。

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