荒木十畝(読み)アラキジッポ

デジタル大辞泉 「荒木十畝」の意味・読み・例文・類語

あらき‐じっぽ【荒木十畝】

[1872~1944]日本画家長崎の生まれ。寛畝かんぽに学び、のち養子となる。文展帝展で活躍した旧派系の代表的画家。代表作寂光」。

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精選版 日本国語大辞典 「荒木十畝」の意味・読み・例文・類語

あらき‐じっぽ【荒木十畝】

  1. 日本画家。長崎県の人。寛畝の養子。文展審査員、日本芸術院会員。代表作「寂光」「渓流」。著「東洋画論」。明治五~昭和一九年(一八七二‐一九四四

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20世紀日本人名事典 「荒木十畝」の解説

荒木 十畝
アラキ ジッポ

大正・昭和期の日本画家



生年
明治5年9月(1872年)

没年
昭和19(1944)年9月11日

出生地
長崎県東彼杵郡大村

本名
荒木 悌二郎

旧姓(旧名)
朝永

別名
前号=琴湖

学歴〔年〕
大村中中退

経歴
明治25年20歳の時上京荒木寛畝師事、画才を認められ、翌26年寛畝の娘と結婚、荒木家の養子となり、画号を琴湖から十畝に改めた。東京女子高等師範教授となり、文展に十数回入選、文展、帝展審査員を務めた。昭和6年インドの仏蹟を巡歴。12年帝国芸術院会員、日本画会顧問、読画会会長、文芸日本社顧問なども兼務。17年「東洋画論」を上梓、精神主義的画論を展開した。11年「燕子花」などの作品や下書きなど約800点が子孫より故郷の大村市に寄託される。「渓流」「園の歌」「四季花鳥」「黄昏」「清研」「夏景山水」などが代表作。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「荒木十畝」の意味・わかりやすい解説

荒木十畝
あらきじっぽ
(1872―1944)

日本画家。長崎県生まれ。1892年(明治25)に上京、荒木寛畝(かんぽ)に師事し、やがてその養子となった。花鳥画を得意とし、初め日本画会、正派同志会に属したが、1908年(明治41)第2回文展に出品して以来官展一筋に歩み、旧派を代表する画家として重きをなした。1926年中国やタイで美術展を開き、また読画会をつくって後進を育てるなど、画界振興にも尽力した。1937年(昭和12)帝国芸術院会員。代表作は『黄昏(たそがれ)』『寂光』など。著書に『東洋画論』がある。

原田 実]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒木十畝」の解説

荒木十畝 あらき-じっぽ

1872-1944 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治5年9月3日生まれ。荒木寛畝(かんぽ)にまなび,のち娘婿となる。明治30年日本画会を創立。花鳥画を得意とし,文展,帝展に出品,43年日英大博覧会で「初夏」が金牌。芸術院会員。昭和19年9月11日死去。73歳。長崎県出身。旧姓は朝長。本名は悌二郎。代表作に「渓流」「黄昏(たそがれ)」「寂光」など。

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367日誕生日大事典 「荒木十畝」の解説

荒木 十畝 (あらき じっぽ)

生年月日:1872年3月15日
大正時代;昭和時代の日本画家
1944年没

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