日本歴史地名大系 「荒沢寺」の解説
荒沢寺
こうたくじ
羽黒山南麓にある。羽黒山と号し、羽黒山修験本宗。本尊は湯殿山大日如来・月山阿弥陀如来・羽黒山観音菩薩。当寺の位置する
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
羽黒山南麓にある。羽黒山と号し、羽黒山修験本宗。本尊は湯殿山大日如来・月山阿弥陀如来・羽黒山観音菩薩。当寺の位置する
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山形県鶴岡(つるおか)市羽黒(はぐろ)町にある羽黒山修験本宗(しゅげんほんしゅう)本山。羽黒山正善院(しょうぜんいん)と号する。本尊は大日如来(だいにちにょらい)・阿弥陀(あみだ)如来・観音菩薩(かんのんぼさつ)。中世までは天台・真言・禅の三宗兼学の修験道場で、当寺は羽黒山一山の奥の院であった。1189年(文治5)源頼朝(よりとも)が藤原泰衡(やすひら)征討のおり、羽黒山に戦勝を祈願し、その報礼として社殿を造営、山麓(さんろく)に黄金堂(こがねどう)(国の重要文化財)を建立、1596年(慶長1)に直江山城守兼続(なおえやましろのかみかねつぐ)、甘粕備後守景継(あまかすびんごのかみかげつぐ)が修築。1641年(寛永18)全山は天台宗に統一されたが、1946年(昭和21)独立して羽黒山修験本宗本山となる。寺宝には仁王像(伝運慶(うんけい)作)、本堂、庫裡(くり)など多数を蔵している。
[中山清田]
…羽黒山在住の修験者はこれら在地修験者の協力を得て各地に講を結び,守札を配付するとともに出羽三山参詣の道者を泊め,かつ先達をした。明治初年の神仏分離によって三山は出羽三山神社となり,別当以下の衆徒は神職に転じ,わずかに残った僧と修験者は,第2次大戦後,荒沢(こうたく)寺を中心に羽黒山修験本宗を再興した。出羽神社【戸川 安章】。…
※「荒沢寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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