アメリカの女性人類学者ルース・ベネディクトの主著の一つ。原著は1946年に刊行され、48年(昭和23)に日本語訳が出版された。第二次世界大戦下のアメリカの一連の戦時研究のなかから生まれた、日本研究の名著である。直接現地調査ができないという制約にもかかわらず、在米日系人との面接、文学や映画の分析などを通じて、複雑な日本社会の体質に鋭く迫っている。日本社会を特徴づける上下関係の秩序に注目し、その秩序のなかで「各人にふさわしい位置を占めようとする」人々の行動や考え方について、「恩」「義理」といった日本人独特の表現を手掛りに分析を進めている。とりわけ日本の文化を、内面に善悪の絶対の基準をもつ西洋の「罪の文化」とは対照的な、内面に確固たる基準を欠き、他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」として大胆に類型化した点は、戦後の日本人に大きな衝撃を与えた。
[濱本 満]
『長谷川松治訳『菊と刀』(社会思想社・現代教養文庫)』▽『津田左右吉「菊と刀のくに」(『展望』1957年5月号所収・筑摩書房)』▽『作田啓一著『恥の文化再考』(1967・筑摩書房)』▽『土居健郎著『甘えの構造』(1971・弘文堂)』
アメリカの文化人類学者R.ベネディクトによる日本文化論。1946年刊。日本人の〈義理〉〈恩〉〈恥〉といった観念の解釈をめぐって,戦後日本の思想界に大きな波紋を投じた。第2次大戦中,米軍の攻勢が確実になったころ,政府,戦時情報局は彼女に日本研究の仕事を委嘱した。現地調査が不可能であるため,彼女は,日本に関する書物,日本人の作った映画,在米日本人との面接等を材料として研究をすすめ,対象社会から文化類型を抽出しようとする方法に基づいて,日本文化の基調を探究し,執筆した。日本人は礼儀正しいといわれる一方,不遜で尊大であるともいわれ,固陋であると同時に新しい事物への順応性が高いともいわれる。また美を愛し菊作りに秘術を尽くす一方では,力を崇拝し武士に最高の栄誉を与える。それは欧米の文化的伝統からすれば矛盾であっても,菊と刀は一枚の絵の二つの部分である。民族の思考と感情から出た習慣と行動には必ず一貫性があるという,ベネディクトの文化統合形態の理論に彼女の直観的な人文学的才能がプラスされ,欧米人による日本文化論として名著との評価が定着した。この著作に対して日本では川島武宜,津田左右吉,和辻哲郎,鶴見和子らの批判と評価がなされた。
執筆者:松園 万亀雄
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…そして心理的には上位のものが下位のものに恩恵をほどこす半強制的な温情主義(パターナリズム)を生みだした。アメリカの文化人類学者R.ベネディクトは《菊と刀》のなかで,近世以降に発達をみた恩のあり方に注目し,人が全力をあげて背負わなければならない負担,債務,重荷であると分析した。上位のものが下位のものにほどこす恩も,下位のものがその恩に報ずる行為も,ともにけっして普遍的な道徳的義務であるのではなく,むしろ借金とその返済という関係に還元することができると考えた。…
…この結果,日本,ドイツ,イギリス,ソ連,そしてアメリカなど各国の国民性の研究が進められた。R.ベネディクトの日本研究《菊と刀》(1946)はその最も有名なものの一つである。 国民性の研究の結果,西欧の非西欧社会に対する世界観が明らかに変わった。…
…日本の場合,罪は祓や禊によって容易に除去されるという意識が強く働き,先の浄土教的な罪業意識は深くは浸透しなかったといえよう。かつてアメリカの人類学者R.ベネディクトは,その著《菊と刀》において日本の文化を欧米の〈罪の文化〉に対して〈恥の文化〉であると規定したが,日本文化に罪の意識が希薄であることを指摘したものとして注目される。恥【山折 哲雄】
【聖書とキリスト教における〈罪〉】
聖書とキリスト教の伝統にみられる罪の観念は多様かつ複合的である。…
…この海軍日本語学校はコロンビア大学のH.パッシンなど,多くの日本研究者を育てた。戦時中に書かれた唯一の日本研究書は,アメリカの〈最も異質な敵〉の本質を解明しようとした文化人類学者R.ベネディクトの《菊と刀》(1946)である。 戦後,文学と歴史を中心に日本研究は徐々に伸びてきた。…
…
[〈恥の文化〉論]
日本の文化の基本的特徴を最初に指摘したのは,アメリカ文化人類学者,R.ベネディクトであった。ベネディクトは,その著《菊と刀》の中で,日本文化の型を,欧米の〈罪の文化guilt culture〉と対比して〈恥の文化shame culture〉だと断定した。両者の違いは,行為に対する規範的規制の源泉が,内なる自己(良心)にあるか,それとも自己の外側(世評とか知人からの嘲笑(ちようしよう))にあるかに基づいている。…
…どのような個別の文化も,人間一般のもつ潜在的目的や動機という大きな円弧の一部分を占めており,個々の民族文化の特性がどの部分を占めるかという選択的動因を類型化したものが《文化の型Patterns of Culture》(1934)である。また,第2次世界大戦前から戦中にかけて人類学者のおこなったヨーロッパ,アジアの地域統合研究の中から生まれたのが《菊と刀》(1946)である。ここでも彼女は同じ方法論によって,断片的で多様な資料から日本文化のイメージを構成し,その統合的形態を描き出した。…
※「菊と刀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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