菊原初子(読み)キクハラ ハツコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「菊原初子」の解説

菊原 初子
キクハラ ハツコ


職業
地歌箏曲

専門
野川流地歌,生田流筝曲

肩書
大阪音楽大学名誉教授,琴友会主宰,当道音楽会会長 重要無形文化財保持者(地歌)〔昭和54年〕

本名
布原 初(ヌノハラ ハツ)

生年月日
明治32年 1月17日

出生地
大阪府 大阪市船場伏見町

学歴
高小〔大正13年〕卒

経歴
祖父菊植明琴、父の3代目菊原琴治に師事し、幼少より箏曲を始める。大正8年父より野川流三弦本手組歌全32曲、生田流箏曲組歌全49曲の巻物伝授。13年当道音楽会大匂当になり、15年菊原初子を名乗る。琴友会を継承して主宰。上方の地歌、箏曲界の重鎮で門下生は数千人といわれた。昭和42年大阪音楽大学教授に就任。49年野川流三味線組歌全曲を演奏した「三味線組歌全集」を製作。54年人間国宝に認定される。62年「野川流三弦本手・古生田流箏曲組歌楽譜全集」を刊行。また舞踊界からも重視され、山村派の地唄舞の地方(じかた)として活躍。平成11年CD「友渕のりえ うた世界」に参加、約20年ぶりにレコーディングを行った。同年100歳の祝賀演奏会を開き、12年の演奏会を最後に第一線を退いた。他のレコードに「菊原初子全集」がある。また、琴治が作家谷崎潤一郎の地歌の師匠だった関係から「春琴抄」のモデルになったといわれる。

所属団体
当道音楽会

受賞
勲五等宝冠章〔昭和44年〕,勲四等瑞宝章〔昭和60年〕 芸術祭賞(レコード部門 第16回)〔昭和36年〕「箏曲と地歌の歴史」,芸術祭賞奨励賞〔昭和42年〕,大阪芸術賞〔昭和44年〕,モービル音楽賞〔昭和48年〕,芸能功労者表彰〔昭和51年〕

没年月日
平成13年 9月12日 (2001年)

家族
父=菊原 琴治(3代目),祖父=菊植 明琴

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「菊原初子」の解説

菊原 初子
キクハラ ハツコ

昭和・平成期の地唄箏曲家 大阪音楽大学名誉教授;琴友会主宰;当道音楽会会長。



生年
明治32(1899)年1月17日

没年
平成13(2001)年9月12日

出生地
大阪府大阪市船場伏見町

本名
布原 初

学歴〔年〕
高小〔大正13年〕卒

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞奨励賞〔昭和42年〕,大阪芸術賞〔昭和44年〕,勲五等宝冠章〔昭和44年〕,モービル音楽賞〔昭和48年〕,芸能功労者表彰〔昭和51年〕,勲四等瑞宝章〔昭和60年〕

経歴
祖父の菊植明琴、父の3代目菊原琴治に師事し、幼少より箏曲を始める。18歳で野川流三味線組歌全32曲、生田流箏曲組歌全49曲の巻物を習得。28歳で菊原初子を名乗る。琴友会を継承して主宰。上方の地唄、箏曲界の重鎮で門下生は数千人といわれた。昭和54年人間国宝に指定された。61年「地歌箏曲組歌楽譜全集」「地唄三味線組歌楽譜全集」を刊行。また舞踊界からも重視され、山村派の地唄舞の地方(じかた)として活躍。平成11年CD「友渕のりえ うた世界」に参加、約20年ぶりにレコーディングを行った。同年100歳の祝賀演奏会を開き、12年の演奏会を最後に第一線を退いた。他のレコードに「三味線組歌全集」「菊原初子全集」がある。また、琴治が作家の谷崎潤一郎の地唄の師匠だった関係から「春琴抄」のモデルになったと言われる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「菊原初子」の意味・わかりやすい解説

菊原初子
きくはらはつこ
(1899―2001)

地歌野川流宗家、生田流(いくたりゅう)箏曲(そうきょく)家。本名布原初。大阪生まれ。大検校(けんぎょう)の祖父菊植明琴、父菊原琴治(ことじ)(1878―1944)の指導のもと、地歌、生田流箏曲および野川流三味線組歌、生田流箏曲組歌全曲を修得、さらに菊原家のみに伝わる稀(き)曲の全曲を今日に伝えた。1957年(昭和32)無形文化財として地歌が選ばれ、『比良や小松』『冬草(ふゆくさ)』など数曲を記録保存した。その後も、正確、確実な芸風で、レコード『箏曲と地歌の歴史』(1961)など多数を完成。79年には地歌の重要無形文化財保持者に認定された。

[平山けい子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊原初子」の解説

菊原初子 きくはら-はつこ

1899-2001 昭和-平成時代の地歌・箏曲家。
明治32年1月17日生まれ。菊原琴治(ことじ)の長女。菊植明琴の孫。父にまなぶ。野川流三弦組歌全曲と古生田流箏組歌全曲を伝承。また琴友会を継承して主宰。谷崎潤一郎の「春琴抄」のモデルとされる。昭和54年人間国宝。平成13年9月12日死去。102歳。大阪出身。本名は布原初。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「菊原初子」の意味・わかりやすい解説

菊原初子
きくはらはつこ

[生]1899.1.17. 大阪
[没]2001.9.12. 大阪
地歌箏曲家。本名布原初。菊原琴治の娘。祖父の菊植明琴および父に師事し,古典演奏の伝承者として 1979年重要無形文化財保持者に認定。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「菊原初子」の解説

菊原 初子 (きくはら はつこ)

生年月日:1899年1月17日
昭和時代;平成時代の地唄箏曲家
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の菊原初子の言及

【菊原琴治】より

…盲人の地歌箏曲家。大阪出身。本名は布原徳太郎。2世菊原吉寿一(後名菊植明琴,1835‐1913)の養子となり,師事のかたわら,菊仲繁寿一から野川流三味線組歌を皆伝される。菊筋の代表者として,昭和前期まで活躍。大阪市立盲啞学校教員,当道音楽会本部長などを歴任。文部省に女学校箏曲科設置の陳情運動も行い,その教員養成を目的とした箏曲音楽学校の初代校長を務めた。晩年は三味線組歌の保存と普及に力を入れ,録音も行ったが,病没。…

【地歌】より

…箏曲化されていない楽曲,あるいは箏の編曲はあっても,三味線の比重の強い楽曲を,狭義の地歌とした場合には,その伝承者は大阪に多いことになる。北派ともいわれる菊の字を姓に含む菊筋の演奏家では,菊原琴治の娘の菊原初子(1899‐ ),南派の富の字を姓に含む富筋の演奏家では,東京に進出した富崎春昇とその門下の富山清琴(1913‐ )が,いずれも人間国宝に指定された。 別に九州にも独自の伝承が行われ,とくに三味線の技巧的発達をくふうするものが多かったが,明治以降に,長谷幸輝(ながたにゆきてる)や,その門下の川瀬里子(1873‐1957)などが東京に移住してからは,東京の生田流箏曲家は,この九州系の地歌三味線家でもある者が主流を占めるに至った。…

※「菊原初子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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