コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

蒋経国 しょうけいこくJiang Jing-guo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蒋経国
しょうけいこく
Jiang Jing-guo

[生]宣統2 (1910).3.18. 浙江,奉化
[没]1988.1.13. 台北
中国,台湾の政治家。蒋介石の長男で,中国国民党政府の実力者。1925年ソビエト連邦に行き,モスクワ中山大学,紅軍中央軍事政治研究院に留学,ソ連人と結婚。1937年帰国,江西省政府保安処副処長,江西省第4行政区督察員兼保安司令,同省県長などを経て,1943年重慶の三民主義青年団中央幹部学校教育長。1945年より軍事委員長東北行営外交特派員。1948年より上海区経済督導弁事処助理督導に就任,腐敗やインフレの整理に努めたが,失敗した。1950年より台湾国防部総政治部主任,国防会議副秘書長,国防部副部長,国防部長,国家安全会議国家総動員委員会主任などを経て,1969年行政院副院長,1972年行政院長に就任。1972年以後,李登輝をはじめとする本省人の登用などで政治の台湾化を進めた。1975年の父の死後,国民党中央委員会主席兼中央常務委員会主席に選ばれ,1978年5月総統に就任,国家安全会議主席などを兼任。1980年代後半から野党の民主進歩党の成立を容認するなど政治改革を進め,1987年7月には 38年間にわたってしかれた戒厳令を解除,同 1987年11月台湾人の中国大陸訪問を許可した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

しょう‐けいこく〔シヤウ‐〕【蒋経国】

[1910~1988]中国の政治家・軍人。浙江(せっこう)省奉化の人。蒋介石の長子。モスクワで共産党に入党。帰国後、父と和解し、台湾国民政府の要職を歴任、1978年総統に就任。チアン=チンクオ。

チアン‐チンクオ【蒋経国】

しょうけいこく(蒋経国)

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

蒋経国【しょうけいこく】

中国,国民政府の軍人,政治家。浙江省の人。蒋介石の長子。1925年以来ソ連に滞在し,1937年帰国。社会改革や軍事教育に活動した。戦後は外交部特派員,上海経済管制副主任などを歴任。
→関連項目中国国民党李登輝

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蒋経国
しょうけいこく / チヤンチンクオ
(1910―1988)

中国・台湾の政治家。浙江(せっこう)省奉化県出身。国民党・国民政府の指導者蒋介石(しょうかいせき)の長男として蒋と最初の夫人との間に生まれる。1924~1937年モスクワに留学、モスクワ中山大学などに学び、ロシア人と結婚。1938年江西(こうせい)省旧中国共産党ソビエト区で国府の行政公署専員となり、反共救国を叫ぶ。第二次世界大戦後1945年国府外務省東北特派員。1948年上海(シャンハイ)経済督察官。1949年蒋介石の台北(たいほく)遷都に従い、国民党台湾省党部主任となる。1950年国防省総政治部主任となり、特務組織を握る。1952年国民党中央委員。1954年国防最高会議副秘書長。1958年行政院・内閣政務員。1960年陸軍上将。1962年国民党常務委員。1964年国防次官。1965年国防相。1967年(昭和42)来日。1969年副首相。1970年来日。1972年首相。1975年亡父の後を継ぎ国民党主席。蒋介石死(1975)後の台湾の最高指導者となる。1978年第6代総統。1981年党主席再任。第三次国共合作の呼びかけを拒否し、三民主義による中国統一を主張した。晩年は、台湾の政治的民主化の先鞭(せんべん)をつけ、1986年野党・民主進歩党の旗上げを黙認。1987年戒厳令解除し、同年11月制限付きながら台湾住民の大陸への里帰りを許可した。1988年1月蒋の死後、その遺志を継いだ李登輝(りとうき)が、台湾のさらなる民主化を推進した。[高市恵之助・渋谷 司]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

蒋経国の関連キーワード台湾の民族・出身構成チャンチンクオ台湾独立運動中台経済交流弔問外交馬英九外省人厳家淦

今日のキーワード

いい夫婦の日

11月22日。通商産業省(現経済産業省)が制定。パートナーへの感謝の意を示し、絆を深める。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

蒋経国の関連情報