出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報
台湾(中華民国)の政治家。学者。1988年から2000年まで総統を務める。台北(タイペイ)市北郊(台北県三芝郷)の農家に生まれる。日本統治下で旧制の台北高等学校を卒業後、京都帝国大学(現、京都大学)農学部農林経済学科に入学、戦争のため砲兵(高射砲隊)に志願した。第二次世界大戦後は台湾大学で農業経済学を専攻し、卒業後、アメリカのアイオワ州立大学に留学、1968年にはコーネル大学で博士号を取得。学位論文「台湾における農工間の資本流通」は、全米農業経済学会最優秀論文としてたたえられた。前後20年にわたって台湾大学で教鞭(きょうべん)をとりつつ農業改善に貢献、その手腕を総統蒋経国(しょうけいこく/チヤンチンクオ)に認められて行政院政務委員(国務大臣)に抜擢(ばってき)されたのち、1978年台北市長、1981年台湾省主席となり、1984年副総統に就任した。1988年1月、蒋経国の死により台湾出身の最初の総統に就任し、同年7月中国国民党党主席に選出される。以後、自由・民主・均富という「現代の三民主義」を掲げて中華民国の台湾化と政治制度の民主化に尽力し、1996年3月には総統・副総統の直接選挙を中国史上初めて実現した。このような民主主義の大実験に対して中国政府は三次にわたるミサイル実射演習などの「文攻武嚇」の圧力を加えたが屈せず、圧倒的多数を得て当選した。台湾の民主化と台湾人としてのアイデンティティーの形成に努めたが、1999年7月には中国との関係を「特殊な国と国との関係」と発言し、中国側の猛反発を受け、両岸関係の緊張は高まった。その後、李登輝の後任を決める2000年3月の総統直接選挙で、国民党候補の連戦(れんせん/リエンチャン)(1936― )が民主進歩党(民進党)の陳水扁(ちんすいへん)候補に大敗したため、率先して党主席を辞任した。台湾の今日の発展をリードした学者政治家としてその名声は高く、「愛心と信心」をモットーとするクリスチャンでもある。
[中嶋嶺雄]
『李登輝著『愛と信仰――わが心の内なるメッセージ』(1989・早稲田出版)』▽『李登輝著『台湾の主張』(1999・PHP研究所)』
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(2020-8-4)
1923~
台湾の政治家。中国国民党主席。中華民国の第8・9代総統(在任1988~2000)。台湾淡水出身。台湾大学農業経済系卒業。台湾大学教授などをへて蒋経国(しょうけいこく)の抜擢で72年入閣,78年台北市長,81年台湾省政府主席,84年第7代副総統。88年1月蒋経国総統の死去で総統に就任。国会の全面改選,総統・副総統の直接選挙などの民主化を推進。中台関係では「二国論」を主張し,台湾海峡が緊張するなか,96年3月,初の総統直接選挙で第9代総統に当選,2000年5月任期を終え退任。
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