薩摩外記(読み)サツマゲキ

精選版 日本国語大辞典 「薩摩外記」の意味・読み・例文・類語

さつま‐げき【薩摩外記】

  1. 江戸前期の古浄瑠璃の太夫。外記節の創始者慶安年間(一六四八‐五二)から江戸で活躍した。寛文一二年(一六七二)没。

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改訂新版 世界大百科事典 「薩摩外記」の意味・わかりやすい解説

薩摩外記 (さつまげき)

江戸の古浄瑠璃の太夫。外記節(げきぶし)の創始者。生没年不詳。薩摩外記藤原直政。薩摩浄雲の弟子と思われるが系統は不明。上方生れで明暦(1655-58)のころ江戸に下ったらしく,〈下り薩摩〉と呼ばれた。貞享(1684-88)のころ江戸堺町に操座を興行した。2代目があり,歌舞伎浄瑠璃を語ったと伝える。

 外記節は享保(1716-36)以後滅びたが,劇場名の外記座薩摩座と名を変え,1872年(明治5)まで続いた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「薩摩外記」の意味・わかりやすい解説

薩摩外記(1世)
さつまげき[いっせい]

江戸時代の古浄瑠璃の太夫。薩摩外記直政。外記節流祖経歴は諸説差異が多くて明らかでないが,薩摩浄雲門人とする点はほぼ共通している。太夫としての活動は万治から正徳年間にわたる。「下り薩摩」と呼ばれ,また大薩摩と称した。延宝6 (1678) 年歌舞伎に出演しはじめ,操芝居の興行は少くなった。語り物は初期の『佐々木問答』『秀平三代記』,後期の『鎧之本尊女鉢木』『出世太平記』など。

薩摩外記(2世)
さつまげき[にせい]

大薩摩主膳太夫」のページをご覧ください。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「薩摩外記」の解説

薩摩外記(初代) さつま-げき

?-1672 江戸時代前期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
外記節(げきぶし)の創始者。薩摩外記藤原直政と名のる。慶安-明暦のころ江戸にでて薩摩の浄瑠璃をかたり,「下り薩摩」とよばれた。堺町で操座(あやつりざ)(外記座)をひらき,のち歌舞伎にも出演した。寛文12年4月3日死去。

薩摩外記(3代) さつま-げき

?-1716 江戸時代前期-中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
初代薩摩外記の孫。弟子に薩摩左内らがいる。正徳(しょうとく)6年1月27日死去。

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