薬をいれた容器。〈薬籠〉の語は早く中国の《唐書》に見え,〈薬籠中の物〉というたとえは日本でもよく人に知られているが,薬籠が日本で用いられたのは室町時代で,〈薬籠〉の語は1548年(天文17)の《運歩色葉集》や《日葡辞書》などに見え,易林本《節用集》はこれを〈やろう〉とよんでいる。薬籠は室町時代に印籠などとともに中国から輸入された舶来品で,多く彫漆,螺鈿(らでん)などで飾った円形の筥(はこ)である。その大きさには大小があったが,ふつう,直径3寸5分(約10.5cm)ばかりで,また3重,4重の重筥(かさねばこ)もあった。薬籠はその名の示すように薬をいれる容器であったが,それが舶来の工芸品であったところから,後にはもっぱら座敷飾の一つとして違棚(ちがいだな)などに置かれ愛蔵,賞美されるようになった。薬籠はもともと練り合わせた薬などをたくわえる容器であったから,湿気や乾燥を防ぐためにその蓋(ふた)の製作には特別の工夫が加えられていたので,後世これにならって作った覆(かぶせ)蓋をすべて〈薬籠蓋〉と呼んでいる。薬籠蓋は覆蓋が深くて盒(み)と相合するように作られたものだというが,一説には,盒の口部に立上(たちあがり)を作って,覆蓋をすると蓋と盒の合口(あいくち)が密接して,しかも表面が平らに作られている〈印籠蓋〉と同じものだともいわれている。
印籠ははじめ印鑑と印肉をいれる容器として薬籠とともに室町時代に中国から輸入されたもので,その大きさも細工も,また後に座敷飾とされたことも薬籠とほとんど同様であった。しかし江戸時代に〈印籠〉と呼ばれたのは武士などの腰間の装身具で,根付(ねつけ)によって腰にさげたもので,これは印籠とは名前だけで,印鑑・印肉をいれずに,もっぱら薬をいれて携行したから,これこそ薬籠というべきものであった。機能としての薬籠を印籠と呼びならわすようになった経緯はなお明らかではない。また江戸時代に薬籠または薬籠匣(ばこ)と呼ばれたのは,医者が薬剤をいれて患家に携行して,出先での調剤に用いたもので,浅い木匣を数個重ねた重箱型のものや引出しを数段つけたたんす型のものなどがあり,医者の供をして患家にこれを運んだ下僕を薬籠持ちといっていた。
→印籠
執筆者:宮本 馨太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
字通「薬」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
草根木皮などを薬研(やげん)で細かい粉にした薬や、煎(せん)じ薬を入れた薬箱。堆朱(ついしゅ)製の豪華なものから、簡単な引き出し箱にしたもの、あるいは重ね箱にした塗り箱などがある。いずれも漢方医が病人の家へ診察に行くとき従僕に持参させた。箱の中には数十種の薬を入れておくものとされていた。江戸時代末に印籠(いんろう)の一種に薬籠蓋(ぶた)というかぶせ蓋があるが、これは室町時代の薬籠のおもかげを示すものであろう。
[遠藤 武]
…重ね容器とするのも,異種の薬品を一具の中に納めるための配慮であろう。印籠は本来印判や印肉を納める容器であり,薬籠というべきこの種の容器を印籠と呼び慣わすようになった経緯はつまびらかでない。中世における印籠は,1437年(永享9)に後花園院が室町殿に行幸した際の室内飾の記録である《室町殿行幸御餝(おかざり)記》をはじめ,《蔭涼軒日録》や《君台観左右帳記》などの記事によっても明らかなように,薬籠,食籠(じきろう),花瓶などとともに押板(おしいた)や違棚(ちがいだな)に置かれ,室内の御飾とされるのが通例であった。…
※「薬籠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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