本朝世紀(読み)ホンチョウセイキ

デジタル大辞泉 「本朝世紀」の意味・読み・例文・類語

ほんちょうせいき〔ホンテウセイキ〕【本朝世紀】

平安後期の歴史書藤原通憲編。六国史続編として作られたが、編者の死で中絶承平5年(935)から仁平3年(1153)までの20巻が残存。史官記。外記日記

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精選版 日本国語大辞典 「本朝世紀」の意味・読み・例文・類語

ほんちょうせいきホンテウ‥【本朝世紀】

  1. 平安後期の歴史書。藤原通憲編。鳥羽法皇の命により六国史を継ぐものとして編まれたが、完成したのは宇多朝一代のみで、通憲の死により未完。現存するものは承平五年(九三五)から仁平三年(一一五三)までの二〇巻のみ。「史官記」「外記日記」ともいう。

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百科事典マイペディア 「本朝世紀」の意味・わかりやすい解説

本朝世紀【ほんちょうせいき】

平安時代の歴史書。編者は1150年に鳥羽法皇から編纂の内命を受けた藤原通憲(みちのり)。通憲は出家して信西(しんぜい)と称した。当初は《六国史(りっこくし)》のあとを受け,宇多(うだ)天皇から堀河天皇までの15代,さらに鳥羽・崇徳(すとく)・近衛の3代を加えて18代の歴史を編纂する計画だったが,宇多天皇1代のみが完成。残りは未定稿のまま終わったと推測される。現在935年から1153年までの記事が断続的に四十数巻が伝わるが,その中には藤原行成(ゆきなり)の《権記(ごんき)》や藤原実資(さねすけ)の《小右記(しょうゆうき)》が誤って混入している部分もある。→保元の乱平治の乱藤原信頼

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改訂新版 世界大百科事典 「本朝世紀」の意味・わかりやすい解説

本朝世紀 (ほんちょうせいき)

藤原通憲(信西)の編纂した平安時代の歴史書。1150年(久安6)鳥羽法皇の内命を受けて編纂に着手した。当初,六国史のあとをついで宇多天皇より堀河天皇にいたる15代220年余の通史を作る計画であったが,のち鳥羽,崇徳,近衛の3代を加えて18代とした。しかし完成したのは宇多天皇の1代のみで,他は未定稿のままに終わったとみられる。もとは数百巻にのぼる膨大なものであったと推定されるが,ほとんどが散逸し,今は935年(承平5)より1153年(仁平3)の間が断続的に四十数巻伝わるにすぎない。宮内庁書陵部所蔵伏見宮本中に鎌倉時代書写本22巻が伝わる。田中穣所蔵鎌倉時代書写の残巻1巻も《本朝世紀》といわれているが,その根拠は乏しい。江戸時代の写本に《史官記》《外記日記》と題するものがあり,本書別名とみなされているが,これは本書を誤って《史官記》《外記日記》に比定したなごりと考えられる。《新訂増補国史大系》に収める。ただしその巻十四は藤原行成の《権記》,巻十八は藤原実資の《小右記》が誤って混入したものである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本朝世紀」の意味・わかりやすい解説

本朝世紀
ほんちょうせいき

歴史書。 20巻。藤原通憲著。平安時代末期の成立。鳥羽法皇の命を受け,六国史のあとを継承し,宇多天皇から近衛天皇までの事跡を編年体に記したもの。久安6 (1150) 年から着手,完成しないうちに平治の乱で途絶。宇多,醍醐両天皇の部分は『新国史』に依拠し,次の朱雀天皇からは太政官外記局の日記に拠り,ほかに貴族の日記を参照した。この書の一名を『史官記』または『外記 (げき) 日記』というのはこのためである。全体では 100巻をこえる分量であったらしいが,現在では朱雀天皇の承平5 (935) 年から近衛天皇の仁平3 (1153) 年までのうち,三十数年分が知られるにすぎない。平安時代後期の根本史料。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本朝世紀」の意味・わかりやすい解説

本朝世紀
ほんちょうせいき

平安時代末期成立の歴史書。20巻。藤原通憲(みちのり)撰(せん)。『史官記』『外記(げき)日記』ともよばれる。通憲が鳥羽(とば)法皇の内命を受けて、1150年(久安6)に、六国史(りっこくし)を継ぐ目的で、宇多(うだ)天皇(在位889~897)から堀河(ほりかわ)天皇(在位1086~1107)まで15代の歴史の編纂(へんさん)を開始した。しかし、20巻または30巻といわれる本書は散逸して、未定稿の935年(承平5)から1153年(仁平3)までが断続的に現存する。外記日記(太政官(だいじょうかん)の公的日記)または外記官人の私日記を史料としているため、平安時代後期の重要史料とされる。『新訂増補国史大系』所収。

[林 幹彌]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「本朝世紀」の解説

本朝世紀
ほんちょうせいき

鳥羽法皇の指示により藤原通憲(みちのり)が編んだ歴史書。最初は「六国史」のあとをうけて,宇多天皇から堀河天皇までの15代220年余の通史を作る計画であった。のち鳥羽・崇徳(すとく)・近衛の3代も含めることにし,18代の天皇朝の史書に変更された。しかし完成したのは宇多朝のみで,ほかは未定稿のままで終わったらしい。「史官記」「外記(げき)日記」などと称することがあり,数百巻にのぼる大部なものであったと思われるが,伝来しているものは935年(承平5)から1153年(仁平3)に至る間の残欠本にすぎない。宮内庁書陵部蔵の伏見宮本中に鎌倉時代の写本が伝わっており,諸伝写本の原本となっている。「群書類従」「新訂増補国史大系」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「本朝世紀」の解説

本朝世紀
ほんちょうせいき

平安後期の歴史書
藤原通憲 (みちのり) (信西)が鳥羽法皇の命をうけ,六国史につぐ国史の編纂を企図したもの。現在大部分は欠けて巻数は不明,935年から1153年までのものが断続して現存する。平安中・末期の研究上貴重な史料。

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