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藤原通憲(信西)の編纂した平安時代の歴史書。1150年(久安6)鳥羽法皇の内命を受けて編纂に着手した。当初,六国史のあとをついで宇多天皇より堀河天皇にいたる15代220年余の通史を作る計画であったが,のち鳥羽,崇徳,近衛の3代を加えて18代とした。しかし完成したのは宇多天皇の1代のみで,他は未定稿のままに終わったとみられる。もとは数百巻にのぼる膨大なものであったと推定されるが,ほとんどが散逸し,今は935年(承平5)より1153年(仁平3)の間が断続的に四十数巻伝わるにすぎない。宮内庁書陵部所蔵伏見宮本中に鎌倉時代書写本22巻が伝わる。田中穣所蔵鎌倉時代書写の残巻1巻も《本朝世紀》といわれているが,その根拠は乏しい。江戸時代の写本に《史官記》《外記日記》と題するものがあり,本書の別名とみなされているが,これは本書を誤って《史官記》《外記日記》に比定したなごりと考えられる。《新訂増補国史大系》に収める。ただしその巻十四は藤原行成の《権記》,巻十八は藤原実資の《小右記》が誤って混入したものである。
執筆者:吉岡 真之
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平安時代末期成立の歴史書。20巻。藤原通憲(みちのり)撰(せん)。『史官記』『外記(げき)日記』ともよばれる。通憲が鳥羽(とば)法皇の内命を受けて、1150年(久安6)に、六国史(りっこくし)を継ぐ目的で、宇多(うだ)天皇(在位889~897)から堀河(ほりかわ)天皇(在位1086~1107)まで15代の歴史の編纂(へんさん)を開始した。しかし、20巻または30巻といわれる本書は散逸して、未定稿の935年(承平5)から1153年(仁平3)までが断続的に現存する。外記日記(太政官(だいじょうかん)の公的日記)または外記官人の私日記を史料としているため、平安時代後期の重要史料とされる。『新訂増補国史大系』所収。
[林 幹彌]
鳥羽法皇の指示により藤原通憲(みちのり)が編んだ歴史書。最初は「六国史」のあとをうけて,宇多天皇から堀河天皇までの15代220年余の通史を作る計画であった。のち鳥羽・崇徳(すとく)・近衛の3代も含めることにし,18代の天皇朝の史書に変更された。しかし完成したのは宇多朝のみで,ほかは未定稿のままで終わったらしい。「史官記」「外記(げき)日記」などと称することがあり,数百巻にのぼる大部なものであったと思われるが,伝来しているものは935年(承平5)から1153年(仁平3)に至る間の残欠本にすぎない。宮内庁書陵部蔵の伏見宮本中に鎌倉時代の写本が伝わっており,諸伝写本の原本となっている。「群書類従」「新訂増補国史大系」所収。
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