藤原敏行(読み)ふじわらのとしゆき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原敏行
ふじわらのとしゆき

[生]?
[没]昌泰4(901)/延喜7(907)
平安時代前期の歌人書家。官は蔵人頭にいたった。書は空海嵯峨天皇に次いで能書と称された。高雄神護寺の鐘銘の書者として知られる。歌は三十六歌仙の一人で『古今集』 (19首) ,『後撰和歌集』などの勅撰集に選ばれている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原敏行 ふじわらの-としゆき

?-901 平安時代前期の官吏,歌人。
南家藤原富士麻呂の長男。母は紀名虎(きの-なとら)の娘。従四位上,右兵衛督(うひょうえのかみ)となる。三十六歌仙のひとり。宇多天皇の宮廷歌壇で活躍,歌は「古今和歌集」以下の勅撰集に29首はいっている。能書家としても知られ,京都神護寺の鐘銘(国宝)が現存。延喜(えんぎ)元年(一説に7年)死去。家集に「敏行集」。
【格言など】住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ(「小倉百人一首」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原敏行

生年:生没年不詳
没年は,延喜1(901)年説と7年説とがある。9世紀後半に活躍した官人,歌人,また書家。三十六歌仙のひとり。因幡守,図書頭,左近衛少将などを歴任,従四位上右兵衛督に至った。技巧を用いながらもそれがかどをたてない自然な詠みぶりで,「秋きぬと目にはさやかに見えねども風のをとにぞおどろかれぬる」など『古今集』に19首入集。家集に『敏行集』がある。歌人に下級官人が多い当時にあっては,珍しい中級官人として在原業平 に次ぐ存在。『古今集』巻13や『伊勢物語』107段などに,業平とかかわりがあることが知られ,業平を範とする面があったと思われる。『宇治拾遺物語』『今昔物語集』巻14などに能書であったことが記されている。

(内田順子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのとしゆき【藤原敏行】

?‐901(延喜1)
平安前期の廷臣,歌人。三十六歌仙の一人。没年は一説に907年(延喜7)。866年(貞観8)少内記となり,のち897年(寛平9)従四位上右兵衛督に至った。宇多天皇の信任を得,当時の宮廷歌壇を代表する重要歌人であった。《古今集》撰者たちよりも年長で,紀氏在原氏と親族関係にあった。《江談抄(ごうだんしよう)》などに能書家として知られていたことを伝える逸話があり,京都高雄神護寺の鐘銘が現存している。《古今集》以下の勅撰集に28首入集,家集に《敏行集》がある。

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大辞林 第三版の解説

ふじわらのとしゆき【藤原敏行】

?~901(907とも)) 平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。富士麿の子。従四位上右兵衛督。その歌風は、六歌仙時代から「古今和歌集」撰者時代への過渡期的な性格をもつ。能書家としても知られる。「古今和歌集」以下の勅撰集に二八首入集。家集「敏行集」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原敏行
ふじわらのとしゆき
(?―901/907)

平安前期の歌人。按察使富士麿の子。母は紀名虎(きのなとら)の女(むすめ)。蔵人(くろうど)、図書頭(ずしょのかみ)、春宮(とうぐう)大進などを経て、従(じゅ)四位上右兵衛督(うひょうえのかみ)に至った。三十六歌仙の一人で、書にも秀でた。宇多(うだ)天皇期の中心的歌人の一人で、『古今集』に19首入集(にっしゅう)しているが、その多くは「是貞(これさだ)親王家歌合(うたあわせ)」「寛平御時后宮(かんぴょうのおおんとききさいのみや)歌合」での作である。著名な詠歌が多く、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」という一首は『古今集』の秋歌の巻頭に配されており、また恋歌にも優れたものがある。家集に『敏行朝臣(あそん)集』がある。[川村晃生]

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