藤間勘十郎(読み)フジマカンジュウロウ

デジタル大辞泉 「藤間勘十郎」の意味・読み・例文・類語

ふじま‐かんじゅうろう〔ふぢまカンジフラウ〕【藤間勘十郎】

日本舞踊藤間流家元の名。3世藤間勘兵衛が、一時勘十郎を名のったのを初世とする。その養子藤間大助が2世を継ぎ、以後茅場町かやばちょうの藤間とよばれる。

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精選版 日本国語大辞典 「藤間勘十郎」の意味・読み・例文・類語

ふじま‐かんじゅうろう【藤間勘十郎】

  1. 日本舞踊の振付師。藤間流宗家。
  2. [ 一 ] 初世。藤間流の三世藤間勘兵衛が、寛政一〇~文政二年(一七九八‐一八一九)にはじめてこの名を名のった。文政四年(一八二一)没。
  3. [ 二 ] 二世。初世の養子。天保二年(一八三一)襲名。「喜撰」「三社祭」など軽快な振付けを得意とした。寛政八~天保一一年(一七九六‐一八四〇
  4. [ 三 ] 七世。六世尾上梅幸門下の歌舞伎俳優から勘十郎家の養子となって振付師に転じ、昭和二年(一九二七)勘十郎を襲名。繊細な振付けを得意とした。同五七年文化勲章受章。明治三三~平成二年(一九〇〇‐九〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤間勘十郎」の意味・わかりやすい解説

藤間勘十郎
ふじまかんじゅうろう

日本舞踊藤間流の宗家名。3世藤間勘兵衛が1798年(寛政10)から1819年(文政2)まで勘十郎を名のったため名義としては初世とされるが、勘十郎家の家系としては代数に数えていない。

[如月青子]

初世

(名義としては2世、以下同じ。1796―1840)3世藤間勘兵衛の養子の藤間大助(だいすけ)が1831年(天保2)に勘十郎を名のる。「茅場(かやば)町の藤間」とよばれ、名振付師として知られた。『正札附(しょうふだつき)』『かさね』『玉屋』など。2世(3世)から5世(6世)までは女性で、劇場振付けから離れた。

[如月青子]

6世

(7世。1900―90)歌舞伎(かぶき)の6世尾上梅幸(おのえばいこう)に入門。尾上梅雄を名のっていたが勘十郎家の養子となり、歌舞伎座の専属振付師をつとめ、1927年(昭和2)襲名。6世尾上菊五郎の新演出による『藤娘(ふじむすめ)』の振付けをはじめ、名声が高く、また素踊りに徹した舞踊の名手で、歌舞伎界、舞踊界をリードし、君臨した。90年(平成2)長女に7世を襲名させ、自身は2世勘祖となったが、まもなく没した。60年(昭和35)重要無形文化財保持者(人間国宝)、79年文化功労者、82年文化勲章受章。

[如月青子]

7世

(8世。1945― )6世(7世)の長女。父につき、若年から歌舞伎界の振付けを手がけ、舞踊家としての自身の会も続けた。1983年(昭和58)初世藤間康詞(みちのり)の名で、7世宗家を継承。90年(平成2)に7世勘十郎襲名。2002年長男に8世を襲名させ、自身は3世勘祖となる。代表的作品に『経正』『鐘巻道成寺』がある。


[如月青子]

8世

(9世。1980― )7世(8世)の長男。1990年(平成2)に2世康詞を襲名。母とともに歌舞伎界の振付けに携わる。2002年に8世宗家勘十郎を襲名した。

 一説によると、名義としての2世の門弟亀三郎(かめさぶろう)(?―1877)が2世没後3世勘十郎となって劇場振付けをしたが、「亀三(かめさ)勘十郎」「櫓下(やぐらした)の勘十郎」とよばれ、代数に加えない。

[如月青子]

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改訂新版 世界大百科事典 「藤間勘十郎」の意味・わかりやすい解説

藤間勘十郎 (ふじまかんじゅうろう)

歌舞伎振付師。勘十郎の名義は,3世藤間勘兵衛が一時改名したのに始まるが,藤間宗家では,その養子の大助が独立して勘十郎となったのを初代に数える。(1)初世 3世藤間勘兵衛が1798-1819年(寛政10-文政2)の間名のった。(2)2世(1796-1840・寛政8-天保11) 大坂の振付師世家真(せやま)家から3世勘兵衛の養子となり,藤間大助を名のる。1831年(天保2)2世勘十郎をついだ。〈茅場町の藤間〉と呼ばれ,4世西川扇蔵と腕を競い,《正札付》《保名》《子守》《藤娘》《供奴》《三社祭》《玉屋》など,拍子本位の舞踊を多く手がけた。2世以降6世までは代々女性が家を継いだため,劇場との縁は薄れた。(3)亀三(かめさ)勘十郎(?-1877(明治10)) 2世の門弟。亀三郎。2世の没後3世勘十郎と称して1867年(慶応3)まで三座の振付をしていたが,代数に数えず,〈亀三勘十郎〉または〈櫓下(やぐらした)の勘十郎〉とよばれ,別格とする。(4)7世(1900-90・明治33-平成2) はじめ6世尾上梅幸門下で尾上梅雄といったが,舞踊の才能を見込まれ,勘十郎家の養子となった。1927年勘十郎をつぎ歌舞伎座の立振付師となって名声を得た。作品は多彩だが,代表作に《佐野源左衛門常世》がある。家系としては初世勘十郎(3世勘兵衛)を代数に数えないので,6世藤間勘十郎を名のっている。
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20世紀日本人名事典 「藤間勘十郎」の解説

藤間 勘十郎(6代目)
フジマ カンジュウロウ

大正・昭和期の日本舞踊家 藤間流宗家(6代目)。



生年
明治33(1900)年10月8日

没年
平成2(1990)年12月5日

出生地
東京

本名
藤間 秀雄

別名
歌舞伎俳優名=尾上 梅雄,後名=藤間 勘祖(2代目)(フジマ カンソ)

主な受賞名〔年〕
毎日演劇賞〔昭和29年〕,紫綬褒章〔昭和32年〕,舞踊芸術賞〔昭和35年〕,毎日芸術賞〔昭和36年〕,舞踊ペンクラブ賞〔昭和37年〕,日本芸術院賞〔昭和37年〕,勲三等瑞宝章〔昭和46年〕,文化功労者〔昭和54年〕,文化勲章〔昭和57年〕

経歴
8歳の時、6代目尾上梅幸に入門し歌舞伎役者となり尾上梅雄を名のる。大正4年16歳の時、踊りの才能を見込まれ、藤間流宗家5代目勘十郎の養子に。昭和2年6代目勘十郎を襲名。古典舞踊を極めると同時に、歌舞伎舞踊の振付師としても活躍。舞踊家としては素踊りに徹し、典雅で品位ある踊りをみせた。代表作に「佐野源左衛門常世」「卒都婆小町」など。歌舞伎舞踊の振付では6代目菊五郎と共同の「藤娘」「うかれ坊主」が有名。平成2年長女の高子(初代康詞)に7代目勘十郎を譲り、2代目勘祖に改名。人間国宝、芸術院会員に加え、57年文化勲章を受章。19年に藤間紫と結婚したが、61年離婚。


藤間 勘十郎(5代目)
フジマ カンジュウロウ

明治・大正期の日本舞踊家 藤間流宗家(5代目)。



没年
昭和10(1935)年3月10日

出生地
東京・牛込岩戸町

本名
藤間 たつ

旧姓(旧名)
田中

別名
前名=藤間 かね,藤間 よし,藤間 勘祖

経歴
徳川の家臣の子女として生まれ、6歳から踊りを習う。坂東三津江の薫陶をうけ、4代目中村芝翫の斡旋で明治25年4代かねの養女となる。その没後2代かねを襲名して5代目を相続、のちに藤間よしと改め、さらに32年5代藤間勘十郎の名を継いだ。この間、一時、勘祖を名のった。踊りの名手で6代目尾上菊五郎を少年時代から指導し、6代目の新作の振付けをした。大正15年引退。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「藤間勘十郎」の解説

藤間 勘十郎(5代目)
フジマ カンジュウロウ


職業
日本舞踊家

肩書
藤間流宗家(5代目)

本名
藤間 たつ

旧名・旧姓
田中

別名
前名=藤間 かね(2代目),藤間 よし,藤間 勘祖

出生地
東京 牛込岩戸町(東京都 新宿区)

経歴
徳川の家臣の子女として生まれ、6歳から踊りを習う。坂東三津江の薫陶をうけ、4代目中村芝翫の斡旋で明治25年4代宗家かねの養女となる。その没後2代かねを襲名して5代目宗家を相続、のちに藤間よしと改め、さらに32年5代藤間勘十郎の名を継いだ。この間、一時、勘祖を名乗った。踊りの名手で6代目尾上菊五郎を少年時代から指導し、6代目の新作の振付けをした。大正15年引退。

没年月日
昭和10年 3月10日 (1935年)

家族
養母=藤間 勘十郎(4代目),養子=藤間 勘祖(2代目)(=6代目勘十郎)


藤間 勘十郎(4代目)
フジマ カンジュウロウ


職業
日本舞踊家

肩書
藤間流宗家

本名
藤間 かね

別名
前名=世家真 かね(セヤマ カネ)

生年月日
天保3年

経歴
2代勘十郎(本名・よし)の妹で、3代勘十郎(本名・ふぢ)の養伯母。明治21年3代没後、4代勘十郎の名義を預かり、藤間かねと号して舞踊の師匠となった。

没年月日
明治25年 8月27日 (1892年)

家族
養女=藤間 勘十郎(5代目 本名=たつ)


藤間 勘十郎(3代目)
フジマ カンジュウロウ


職業
日本舞踊家

肩書
藤間流宗家

本名
藤間 ふぢ

生年月日
慶応2年

経歴
明治15年2代勘十郎(本名・よし)の没後、3代を継ぐが、21年早逝した。

没年月日
明治21年 8月19日 (1888年)

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朝日日本歴史人物事典 「藤間勘十郎」の解説

藤間勘十郎(2代)

没年:天保11.12.24(1841.1.16)
生年:寛政8(1796)
今日に多くの名作を残した,江戸後期の劇場振付師。3代目藤間勘兵衛の養子。前名瀬山大助,藤間大助。36歳で勘十郎を襲名し,日本舞踊藤間流茅場町家(勘十郎派)を興した。実質的に養父の跡を継いで振付師として活躍,2代目関三十郎や4代目中村歌右衛門などの変化舞踊を単独で,または4代目西川扇蔵,松本五郎市などと分担して振り付けた。「供 奴」「三社祭」などの振付作品を見ると,「踊りっ子」とあだ名されたのもうなずけるほど非常に間の良い人であったことが知られる。3代から6代までは女性が継ぎ劇場振付から離れたが,昭和になって7代目(6代目宗家)が振付師としての地位を復活。平成2(1990)年に8代目を継いだのは女性振付師。<参考文献>町田博三「東都振付師列伝」(『演芸画報』1921年2月号)

(丸茂祐佳)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤間勘十郎」の意味・わかりやすい解説

藤間勘十郎(1世,家系上の)
ふじまかんじゅうろう[いっせい・かけいじょうの]

[生]寛政8(1796).大坂
[没]天保11(1840)
歌舞伎舞踊の振付師,日本舞踊家。名義上は 2世。大坂の振付師瀬山家の一族に生れ藤間の養子となり,藤間大助と改名。一時養父と不和になり,のち和解したが,別家して茅場町に住み,天保2(1831)年勘十郎を継いだ。これが実質上の勘十郎家の始まりで,茅場町の藤間という。文政から天保にかけて活躍し,軽快な拍子本位の踊りの振付で,4世西川扇蔵と並び称された。代表作は『保名』『三社祭』など。なお,1世の養女よしが 2世を継ぎ,以後 5世まで代々女性が相続し,劇場との関係は絶えた。

藤間勘十郎(6世)
ふじまかんじゅうろう[ろくせい]

[生]1900.10.8. 東京
[没]1990.12.5. 東京
歌舞伎舞踊の振付師,日本舞踊家。名義上は7世。本名藤間秀雄。6世尾上梅幸の門弟で,尾上梅雄と名のっていたが,藤間の養子となり,1927年6世を襲名し藤間宗家を名のり,6世尾上菊五郎一座の振付師となり,劇場との関係も復活。気品ある,繊細巧緻な振付をし,自身の舞台は衣装を着けない素踊りに徹する。 90年娘康詞 (みちのり) に7世を襲名させ,みずからは2世藤間勘祖を名のった。 60年重要無形文化財保持者。 67年日本芸術院会員。 82年文化勲章受章。代表作は『佐野源左衛門常世』。

藤間勘十郎(1世,名義上の)
ふじまかんじゅうろう[いっせい・めいぎじょうの]

[生]? 江戸
[没]文政4(1821)
振付師,日本舞踊家。江戸の歌舞伎舞踊の振付の名手。2世藤間勘兵衛の養女の婿で,3世藤間勘兵衛を名のっていたが,養家を離縁された寛政10(1798)~文政2(1819)年藤間勘十郎と名のった。名義としてはこれを 1世とするが,家系としては数えない。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤間勘十郎」の解説

藤間勘十郎(8代) ふじま-かんじゅうろう

1945- 昭和後期-平成時代の日本舞踊家。
昭和20年12月9日生まれ。7代藤間勘十郎(2代藤間勘祖)の長女。母は藤間紫。父に師事。昭和58年藤間康詞(みちのり)(初代)を名のり,藤間流宗家をうけつぐ。平成2年8代藤間勘十郎を襲名。9年芸術院賞。14年3代勘祖を襲名。26年芸術院会員。東京都出身。立大中退。本名は高子(こうこ)。

藤間勘十郎(2代) ふじま-かんじゅうろう

1796-1841* 江戸時代後期の舞踊家,振付師。
寛政8年生まれ。3代藤間勘兵衛の養子となり,藤間大助(初代)を名のる。天保(てんぽう)2年名義として2代勘十郎をつぐ。藤間流の別家茅場町(かやばちょう)家をおこし流儀としては初代。拍子本位の舞踊をおおく手がけて,4代西川扇蔵とその名をきそった。「子守」「正札付(しょうふだつき)」などの振り付けが代表作。天保11年12月24日死去。45歳。

藤間勘十郎(7代) ふじま-かんじゅうろう

1900-1990 大正-昭和時代の振付師,日本舞踊家。
明治33年10月8日生まれ。6代尾上(おのえ)梅幸の門弟で尾上梅雄を名のったが,6代勘十郎の養子となり,昭和2年名義7代を襲名し6代宗家となる。19年藤間紫と結婚(のち離婚)。3代以降たえていた劇場振り付けを復活し,名声をえた。35年人間国宝。42年芸術院会員。57年文化勲章。平成2年12月5日死去。90歳。東京出身。本名は保住秀雄。後名は勘祖。

藤間勘十郎(3代) ふじま-かんじゅうろう

1823-1882 江戸後期-明治時代の舞踊家。
文政6年生まれ。2代勘十郎の養女。以降6代まで女性が家をついだため,劇場振り付けからはなれた。なお2代の門弟亀三郎(かめさぶろう)(?-1877)が2代没後に3代勘十郎と称して劇場振り付けをしたが,代数にかぞえず「櫓下(やぐらした)の勘十郎」「亀三(かめさ)勘十郎」とよばれた。明治15年7月14日死去。60歳。本名はよし。通称は大よし。

藤間勘十郎(5代) ふじま-かんじゅうろう

1832-1892 江戸後期-明治時代の日本舞踊家。
天保(てんぽう)3年生まれ。3代勘十郎の妹。2代世家真(せやま)大助をつぎ,明治21年4代勘十郎の没後5代となる。明治25年8月27日死去。61歳。本名は世家真かね。

藤間勘十郎(4代) ふじま-かんじゅうろう

1866-1888 明治時代の日本舞踊家。
慶応2年生まれ。3代勘十郎の子。はじめ2代藤間よしを名のる。3代没後4代をついだが,早世した。明治21年8月19日死去。23歳。本名はふぢ。

藤間勘十郎(6代) ふじま-かんじゅうろう

?-1935 明治-昭和時代前期の日本舞踊家。
坂東三津江の教えをうける。5代勘十郎の養女となり,明治32年6代を襲名した。昭和10年3月10日死去。東京出身。旧姓は田中。本名はタツ。

藤間勘十郎(初代) ふじま-かんじゅうろう

藤間勘兵衛(ふじま-かんべえ)(3代)

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367日誕生日大事典 「藤間勘十郎」の解説

藤間 勘十郎(7代目) (ふじま かんじゅうろう)

生年月日:1900年10月8日
大正時代;昭和時代の振付師;日本舞踊家
1990年没

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世界大百科事典(旧版)内の藤間勘十郎の言及

【長作】より

…1805年(文化2)江戸中村座で3世坂東三津五郎,5世岩井半四郎らにより初演。作詞初世桜田治助,作曲名見崎喜惣治(初世名見崎徳治),振付初世藤間勘十郎。義太夫の《新薄雪物語》を増補改作した《練供養妹背縁日》の道行で,薗部左衛門を慕って死んだお美津の霊が村娘およしに乗り移って,左衛門と薄雪姫との道行をじゃまする。…

【水売】より

…作詞2世桜田治助,作曲3世岸沢古式部(2世岸沢式佐)。振付初世藤間勘十郎。7世市川団十郎の近江八景八変化所作事《茲姿八景(またここにすがたのはつけい)》の一。…

【三人形】より

…作詞2世桜田治助,作曲岸沢右和佐。振付初世藤間勘十郎。演者は3世坂東三津五郎,中村芝翫(のちの3世中村歌右衛門),5世岩井半四郎。…

【座頭】より

…もとは長唄と掛合であった。振付2世藤間勘十郎,4世西川扇蔵。盲目のあんまに縫いぐるみの犬がからむ踊りで,犬のクドキなど,滑稽味が濃い作品。…

【三社祭】より

…作曲初世清元斎兵衛。振付2世藤間勘十郎。1832年(天保3)3月江戸中村座で4世坂東三津五郎と2世中村芝翫(4世歌右衛門)により初演。…

【玉屋】より

…作曲初世清元斎兵衛。振付2世藤間勘十郎。玉に縁のある四変化物として作られたうちの一。…

【年増】より

…作曲5世岸沢式佐。振付2世藤間勘十郎。舞台は,桜散る向島の土手。…

【供奴】より

…作曲4世杵屋三郎助(10世杵屋六左衛門)。振付市山七十郎,藤間大助(2世藤間勘十郎),4世西川扇蔵。供をして廓(くるわ)へいく奴を描く。…

【鳶奴】より

…作曲4世杵屋(きねや)六三郎。振付2世藤間勘十郎。江戸の山の手で,鳶に鰹をさらわれた折助が鳶を追いかけて出る。…

【俳諧師】より

…作曲5世岸沢式佐。振付2世藤間勘十郎。俳諧師といっても太鼓持めいた通人の描写で,日傘,瓢簞,扇,遠眼鏡,矢立,短冊の小道具を用いての見立ての振りがおもしろく,軽業の綱渡りまで見せる。…

【藤娘】より

…作曲4世杵屋六三郎。振付藤間大助(2世藤間勘十郎),4世西川扇蔵。大津絵にある藤の枝をかついだ娘が絵からぬけ出して踊る趣向であるが,6世尾上菊五郎が1937年3月に藤の花の精として上演して以来,これを踏襲することが多い。…

【保名】より

…四季七変化《深山桜及兼樹振(みやまのはなとどかぬえだぶり)》春の部の一つ。作詞篠田(しのだ)金治,作曲初世清元斎兵衛,振付藤間大助(2世藤間勘十郎)。初演以降絶えていたのを9世市川団十郎が復活。…

【六歌仙】より

…作曲10世杵屋六左衛門,初世清元斎兵衛。振付2世藤間勘十郎,4世西川扇蔵,中村勝五郎。僧正遍照,在原業平,文屋康秀,喜撰法師,大伴黒主を踊り分ける五変化で,それぞれが小野小町(《喜撰》では茶汲女,《文屋》では陰の存在)に思いを寄せるが受け入れられない。…

【良寛と子守】より

…作曲3世常磐津文字兵衛,3世常磐津松尾太夫。振付7世藤間勘十郎。舞台は越後の国の村はずれの地蔵堂。…

【藤間勘兵衛】より

…(3)3世(?‐1821(文政4)) 日本橋の魚問屋魚仙の丁稚であったが,2世勘兵衛に踊りの才を認められ,その養女みよの婿となって,1790年(寛政2)3世勘兵衛を襲名。98年一度養家を出て藤間勘十郎を名のったが,1819年(文政2)旧名に戻り,その間,名振付師として活躍した。門下に4世中村歌右衛門,4世西川扇蔵ら人材が多い。…

【藤間流】より

…(1)勘十郎家 3世勘兵衛(一時,勘十郎と改名。名義初世勘十郎)の養子2世藤間勘十郎が始祖とされ,3世から6世まで女系によって名跡が伝えられた。1927年6世尾上梅幸の門弟梅雄が養子に入り,勘十郎を襲名,歌舞伎の名振付師として活躍した。…

※「藤間勘十郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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