三社祭(読み)さんじゃまつり

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三社祭」の意味・わかりやすい解説

三社祭
さんじゃまつり

東京都台東区浅草寺境内に隣接する浅草神社例祭正和1(1312)年に始まったと伝えられ,本来は 3月17,18日の祭りだったが,1872年以降 5月17,18日となり,今日ではこの日に近い金曜日から日曜日にかけて行なわれている。浅草神社は,浅草寺創建伝承に語られる隅田川から観音菩薩像を引き上げた 3人の漁師祭神とすることから,江戸時代には三社権現社と呼ばれ,1873年に浅草神社と改称してからも三社明神,三社さまの名で親しまれており,例祭も三社祭と通称される。祭りの中心行事は,日曜日の 3基の宮神輿(→神輿)の氏子町内渡御だが,江戸時代末までは,祭神の観音像引き上げの故事にちなんだ船祭りが中心で,宮神輿は浅草橋の船着場から駒形橋まで大森の漁師の船に乗って船渡御し,神社にかえっていた。また,船渡御に先立って,各町から出された山車が神輿に参って芸能奉納していた。今日では,土曜日の例大祭の神事のあと,各町から出された約 100基の神輿が集合し,浅草神社でお祓を受けて各町に向けて渡御する連合渡御が行なわれている。このほか,祭り初日の金曜日には,鷺舞やビンササラ舞(→ささら)の奉納もある。

三社祭
さんじゃまつり

歌舞伎舞踊曲。本名題弥生の花浅草祭』。通称『善玉悪玉』ともいう。天保3 (1832) 年江戸中村座で初演。作詞2世瀬川如皐,作曲清元斎兵衛,振付2世藤間勘十郎,松本五郎市。浅草観音の守護神とされた江戸三社権現の例大祭に題材をとったもので,現存の宮戸川の場は,山車人形に擬した神功皇后武内宿禰の踊りを引抜いたあとの部分。浅草寺の観音像を網打ちで引上げて2人の漁師が踊っていると,にわかに天から降りた善玉悪玉が乗移る。この善玉,悪玉は山東京伝の黄表紙『心学早染草』に趣向を仰いでいる。速いテンポと軽快な振りがこの曲を特異な秀作としている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三社祭」の意味・わかりやすい解説

三社祭(東京都)
さんじゃまつり

東京都台東(たいとう)区浅草(あさくさ)に鎮座する浅草神社の祭礼をいう。当社は観音(かんのん)信仰で名高い金龍山(きんりゅうざん)浅草寺(せんそうじ)の境内に隣接し、社伝によれば、推古(すいこ)天皇36年(628)3月18日に宮戸川(隅田(すみだ)川)へ出漁した2人の漁師が同寺本尊の観音像を海中から得、これを地元の長者が供養したという縁起によって、この3人を同寺の鎮守神に祀(まつ)ったのが始まり。そこで別名、三社明神、三所大権現(ごんげん)ともよばれ、三社祭の名が生まれた。江戸時代は、観音感得の旧暦3月18日を祭日としたが、明治時代から新暦5月18日を中心に執行された。浅草一円の総鎮守として氏子区域45か町から100余基の町神輿(みこし)が宵宮(よいみや)の日に連合渡御し、当日は3基の宮神輿が全町内を巡行する。現在では5月第3金・土・日曜日が祭日。また古式の拍板舞(びんざさらまい)(東京都無形民俗文化財)も神事として奉納されるなど、江戸下町を代表する伝統の祭礼である。

[薗田 稔]


三社祭(歌舞伎舞踊)
さんじゃまつり

歌舞伎(かぶき)舞踊。清元(きよもと)。別称「善玉悪玉(ぜんだまあくだま)」。本名題(ほんなだい)『弥生(やよい)の花浅草祭(はなあさくさまつり)』。2世瀬川如皐(じょこう)作。初世清元斎兵衛(さいべえ)作曲。2世藤間勘十郎・松本五郎市振付け。1832年(天保3)3月江戸・中村座で、4世坂東三津五郎(ばんどうみつごろう)の善玉、2世中村芝翫(しかん)(4世歌右衛門(うたえもん))の悪玉により初演。浅草三社祭の祭神である浜成(はまなり)・武成(たけなり)を暗示する漁師2人が、大空から降(くだ)った善玉・悪玉に魅入られ、善悪を象徴する振(ふり)をみせる。当時流行の心学思想に基づく山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙『心学早染草(しんがくはやそめぐさ)』の挿絵からとった趣向で、日本舞踊には珍しく軽快なテンポと跳躍味に富んだ振が特色。初演のときは、山車(だし)人形の神功皇后と武内宿禰(たけしうちのすくね)が引き抜いて漁師2人になる構成であった。

[松井俊諭]

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