藩債処分(読み)はんさいしょぶん

改訂新版 世界大百科事典 「藩債処分」の意味・わかりやすい解説

藩債処分 (はんさいしょぶん)

1871年(明治4)の廃藩置県によって明治政府は中央集権体制をしいたが,各藩がかかえていた国内国外からの莫大な負債をいかに処理するかが,藩札処分,秩禄処分とともに,政府の廃藩後の事務処理の重要な課題となった。

 政府は,1870年各藩に対して藩政改革一環として藩債の処分方法を立てることを命じたが,藩財政の窮状から容易に成果はあがらず,むしろ累積する傾向にあった。71年には府県諸藩の負債額の報告を求めたが,負債内容が複雑多岐にわたるため思うにまかせなかった。そこで大蔵省諸務課に新県掛をおき,債権者から負債額を申告させ,負債の実体の把握に努めた。債権者に対しては,いずれ調査のうえで政府の責任によって旧藩旧債を処理することを示し,債権者の不安を取り除こうとした。政府は,負債取調掛を大蔵省内に設置し,郷純造主任として調査および査定にあたらせ,72年4月藩債処分の方針を示し,翌年3月旧藩負債償還の処分を定めた。これによると,藩債を負債発生時期によって区分し,1843年(天保14)以前のものを古債,44年(弘化1)から67年(慶応3)までのものを旧債,68年(明治1)から72年までのものを新債とし,古債は全部棄損し,旧・新債のうち公債とみなしうるものを政府が引き受け,換算方法,利率償還期限等を規定し政府が処分することになった。この結果,政府は,全国277藩から申告された内債総額7413万円のうち,3489万円を引き受け,公債,現金,租税振替え等により償還されることになった。その大部分は,公債証書の発行交付という形をとったために,73年3月25日新旧公債証書発行条令が公布された。

 この内債の処分以上に困難をきわめたのが,外債の処分であった。外債は,おもに戊辰戦争前後に生じたもので,藩が兵器船舶,機械等を輸入したときの代金未済分によるものである。諸藩が負った外債は,37藩,111件,総額約400万円にものぼり,債権者の国籍は,イギリス,オランダなど7ヵ国前後に及んだ。この外債の処分については,大蔵省内の判理局があたった。外債はいずれも高利率であったため,判理局は,個別的に外国人債権者と交渉した結果,約370万円については政府の責任によって処分することとした。これは,内債のように公債によるものではなく,すべて現金で償還され,75年6月に完済された。
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