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山田寺 やまだでら

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山田寺
やまだでら

奈良県桜井市所在の飛鳥時代の寺院跡。特別史跡。皇極2 (643) 年に金堂建立とされる。 1976年より発掘調査が進められた。伽藍配置は中門,塔,金堂,講堂を一直線に並べる四天王寺式に近いが,北面回廊は講堂まで延びず,金堂背面で閉じていたと推定されている。第4・5次調査で東回廊跡から倒壊した回廊が発見され,ほぼ完全な姿で飛鳥時代の建築部材が出土した。建築部材が完全な形で出土する例は珍しく,貴重な資料となっている。

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百科事典マイペディアの解説

山田寺【やまだでら】

奈良県桜井市山田にある寺。浄土寺,華厳寺とも。本尊十一面観音。大化改新の功臣蘇我石川麻呂が創建,649年石川麻呂が自殺したのち天智天皇がその追福のために尽力,四天王寺式の伽藍(がらん)配置をもつ寺が完成,685年には丈六の薬師如来像の開眼供養をした。
→関連項目興福寺

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世界大百科事典 第2版の解説

やまだでら【山田寺】

奈良県桜井市山田にある寺院跡。法号は浄土寺で,蘇我石川麻呂によって創建された。造営過程については《上宮聖徳法王帝説裏書に詳しい。それによると,641年(舒明13)整地され,643年(皇極2)の金堂建立後,649年(大化5)石川麻呂は謀反の疑いをかけられ,金堂前で自害する。その後の建立は石川麻呂の孫娘鸕野皇女(のちの持統天皇)らの尽力によって進められた。676年(天武5)塔が完成し,講堂建立ののち,685年,後に旧山田寺仏頭と呼ばれる丈六仏が開眼し,1187年(文治3)丈六仏は興福寺東金堂に移る。

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大辞林 第三版の解説

やまだでら【山田寺】

奈良県桜井市山田にあった古代の寺院。643年、蘇我倉山田石川麻呂の建立。遺構は四天王寺式の伽藍配置を示す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山田寺
やまだでら

奈良県桜井市山田にあった寺。山号は大化山。浄土(じょうど)寺、華厳(けごん)寺とも称した。法相(ほっそう)宗に属する。蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわのまろ)の発願によって創建。蘇我蝦夷(えみし)による豊浦寺(とゆらでら)や舒明(じょめい)天皇の百済(くだら)大寺などと妍(けん)を競って造営された。641年(舒明天皇13)着工し、2年後には金堂が完成したが、右大臣石川麻呂が無実の罪を得て金堂前で一族もろとも自殺した。その後、冤罪(えんざい)は晴れ、造営は継続されて、663年(天智天皇2)竣工(しゅんこう)、684年本尊丈六像の開眼供養が挙行された。1187年(文治3)興福寺衆徒の強奪により堂塔を焼亡。現在、奈良興福寺に蔵する銅造仏頭(国宝)はもと山田寺講堂本尊であったが、このとき衆徒に奪取され、1411年(応永18)火災にあい頭部だけが残った。建久(けんきゅう)年間(1190~99)には荒廃し、廃寺となった。伽藍(がらん)配置は飛鳥寺(あすかでら)式から東西両金堂を省いた形式の一塔一金堂式で、隋(ずい)唐の寺院に共通する形式であった。1976年(昭和51)寺跡発掘調査の際、回廊の一部が倒壊したまま出現し、古代寺院建築について多くの資料を提供した。出土した瓦(かわら)は単弁八葉蓮華文軒丸瓦(れんげもんのきまるがわら)が多く、山田寺式とよばれる。寺跡は特別史跡。[里道徳雄]

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