蚶満寺(読み)かんまんじ

日本歴史地名大系 「蚶満寺」の解説

蚶満寺
かんまんじ

[現在地名]象潟町象潟島

象潟の北東部にある。皇后山と号し、曹洞宗、本尊釈迦牟尼仏。干満珠寺ともいう。

出羽国風土記」によれば、延暦年間(七八二―八〇六)慈覚の創建天台宗であったが、その後真言宗に転じたという。正嘉元年(一二五七)北条時頼が蚶満寺に目通り四方二〇町余を寄進し、この四至内の殺生禁断を命じたという。象潟蚶満寺文書に次のようにある。

<資料は省略されています>

天正年間(一五七三―九二)、檀家が再建し、曹洞宗に改宗した。元禄九年(一六九六)仁賀保にかほ(現仁賀保町)禅林ぜんりん寺との間に本末論争があり、加賀国金沢かなざわ(現石川県金沢市)大乗だいじよう寺の預末寺となった。近世後期には羽海法窟として名を高めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「蚶満寺」の意味・わかりやすい解説

蚶満寺
かんまんじ

秋田県にかほ市象潟(きさかた)町象潟島にある曹洞(そうとう)宗の寺。皇宮山(こうぐうさん)と号し、干満珠寺(かんまんじゅじ)ともいう。853年(仁寿3)慈覚(じかく)大師(円仁(えんにん))の開創。神功(じんぐう)皇后のいわゆる「三韓(さんかん)征伐」のとき海中に干珠満珠を得たという伝説にちなみ、この山号寺号があるというが、寺名については諸説ある。正嘉(しょうか)年間(1257~1259)北条時頼(ときより)が北国巡視のおりに寺領を寄進し再興したことをもって中興開祖と仰ぎ、寺紋に北条家の三つ鱗(うろこ)の紋を使用した。その後、天台宗より真言宗に改宗し、1592年(文禄1)現宗派に改められた。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。古来、多くの文人墨客が訪れ、境内には芭蕉(ばしょう)の像と句碑、西行(さいぎょう)桜などの遺跡のほか、狩野探幽(かのうたんゆう)の画、小田野直武(おだのなおたけ)の画、「潟古景図」などの寺宝がある。

[大鹿実秋]


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デジタル大辞泉プラス 「蚶満寺」の解説

蚶満(かんまん)寺

秋田県にかほ市にある曹洞宗の寺院。山号は皇宮山。「干満珠寺(かんまんじゅじ)」ともいう。853年、円仁の開創と伝わる。北条時頼が中興の祖。おくのほそ道の句碑がある。

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