改訂新版 世界大百科事典 「蟬丸」の意味・わかりやすい解説
蟬丸 (せみまる)
虚構の人名。説話では,延喜帝(醍醐天皇)の第4皇子で,盲目のため逢坂山へ遺棄された琵琶の名手と伝える。《後撰集》(巻十五)に,〈逢坂の関に庵室を造りて住み侍りけるに,行きかふ人を見て〉の詞書のもとに,〈これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも逢坂の関〉の和歌が収められ,作者は蟬丸となっている。この歌は《百人一首》にも選ばれ,人口に膾炙しているが,作者蟬丸についてはまったくわかっていない。信ずべき史料には,この名の人物の実在を証するに足るものは皆無といってよい。しかるに,蟬丸の名は平安時代末期以後の説話・芸能の中で,あるいは信仰のうえで,さまざまに語り伝えられていた。
蟬丸について語る資料が,いずれもきわめて断片的であるのは特徴的なことである。《今昔物語集》(巻二十四)に,源博雅という管絃の名手が,逢坂山の関に庵を作って住んでいた盲目の蟬丸のもとへ3年の間通いつめ,ついに《流泉》《啄木》という琵琶の秘曲を習得したという。蟬丸の出自は,宇多法皇の皇子敦実(あつみ)親王の雑色(ぞうしき)であったとしている。これと同類の説話は《江談抄》(巻三)にも出ているが,これには〈会坂目暗(おうさかめくら)〉とのみあって,蟬丸の名は出てこない。また,博雅三位(はくがのさんみ)が童のころ,木幡にいた卑しい盲目の法師のもとへ百夜通って琴の秘曲を授けられたという類話が《世継物語》に書き留められている。これら古い説話を見ると,近江国逢坂関の近辺にたむろして,音曲を奏して旅人を慰めていた放浪芸能民に関する伝承が原型であったと思われる。それが,いつのころか〈蟬丸〉という個人の名に仮託して語られるようになり,さらにこの蟬丸を〈芸の始祖〉〈音曲の守護神〉と奉じた盲目の琵琶法師たちによって神格化が行われたのであろう。そのとき,蟬丸は延喜帝の第4皇子という高貴な身分に擬され,貴と賤とを併せ担う虚構の人物となって立ち現れた(《平家物語》《無名抄》など)。その事情については,なお研究が必要であるが,一般には,仁明天皇の第4皇子である人康親王が逢坂山の麓に隠棲し,琵琶の名手として知られていたのを混同したのだろうと説明されている。たしかに,不遇の貴種という点で,この史実の反映は認められるが,とくに〈延喜帝の〉皇子になぞらえられたことの意味は,別に求められねばならない。
中世の謡曲《蟬丸》は,この伝承を原拠としつつ,博雅三位を登場させることをせず,〈聖天子〉たる延喜帝の皇子ながら,盲目ゆえに捨てられた蟬丸と,髪が逆立つ奇形ゆえに放浪する姉宮逆髪との姉弟邂逅を描いた曲である。この謡曲が原拠となり,蟬丸は近松門左衛門作の浄瑠璃《蟬丸》(1693以前上演)および歌舞伎狂言《蟬丸二度の出世》(1698上演)をはじめ,近世の芸能に扱われるようになる。とくに歌舞伎では,《蟬丸養老滝》(1721),《蟬丸女模様》(1725),《蟬丸逢坂ノ緑》《相坂山鳴神不動》(ともに1731),《若緑七種ノ寿》(1741),《梅桜仁(ににん)蟬丸》(1752)など,数多くの〈蟬丸物〉を生み出した。これら近世の蟬丸像に共通の類型は,美男・薄幸の貴種で琵琶の名手,複数の女性から熱烈に慕われて,嫉妬をこうむるというものであった。
さて,逢坂の関には王朝時代以前より坂神である道祖神が祭祀されていた。中世になって,これに蟬丸と逆髪という男女一対の神格を習合させたらしい。〈関明神〉と称するのがそれで,《寺門伝記補録》(巻五)によると,この社の祭神には,朱雀天皇の詔によって蟬丸の御霊を合祀したと記している。また,同書の補記に,蟬丸と逆髪の御霊を祀ったこと,一説に下社に蟬丸宮,上社に逆髪宮の霊を祀ったことを記す。これは,現在滋賀県大津市にある蟬丸神社につながる〈蟬丸信仰〉である。蟬丸が,平曲を語った放浪の盲僧たちの集団によって信仰されたのはいうまでもないが,やや時代が下っては,やはり放浪の芸能民である説経師によって祖神として信奉された。江戸時代には,説経節を語る説経師に限らず,琵琶法師,瞽女(ごぜ),歌念仏,辻能狂言師,辻角力,人形操師,見世物,放下師(ほうかし),祭文師,白拍子,三味線弾,傀儡(くぐつ)遊女など広く諸国をめぐる放浪の芸能民集団の多くは近松寺(こんしようじ)を通じて巻物を下付されて蟬丸宮の支配に属していた。《雍州府志》は蟬丸を〈乞児之祖〉とし,また《世諺問答》は〈鉢叩きの先祖〉ともする。蟬丸はまさに聖と俗の両義性を体現する壮大な虚構の名であり,社会的に賤視されていた放浪芸能民自身を象徴する偶像であったといってよかろう。
執筆者:服部 幸雄
蟬丸 (せみまる)
能の曲名。四番目物。狂女物。世阿弥時代からある能。古くは《逆髪(さかがみ)》とも呼んだ。作者不明。シテは逆髪の宮(狂女)。延喜の帝の第4皇子蟬丸の宮(ツレ)は,幼少時から盲目だったので,帝が侍臣の清貫(きよつら)(ワキ)に命じて逢坂(おうさか)山に連れて行かせ,剃髪(ていはつ)のうえ捨てさせる。宮は前世の報いとあきらめ,今ではただ一人の同情者である博雅三位(はくがのさんみ)(アイ)が用意してくれた藁屋に住み,琵琶に心を慰めている。いっぽう蟬丸の姉宮の逆髪は,髪が逆立つ病のうえ心も乱れ,諸方をさまよい歩いて逢坂山にやって来る(〈カケリ・段歌(道行)〉)。たまたま蟬丸の琵琶を耳にした逆髪は,弟と知って手を取り合い,互いに身の不幸を嘆き悲しむ(〈クセ〉)。やがてまた立ち去る姉の後ろ姿を,蟬丸は見えぬ目で見送るのだ(〈ロンギ〉)。蟬丸の剃髪,逆髪の狂乱,2人の対面・述懐と,焦点が三つにはっきり分かれすぎている欠点もあるが,部分的には謡い所,仕所があって,上演回数が多い。
執筆者:横道 万里雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報