源博雅(読み)ミナモトノヒロマサ

デジタル大辞泉 「源博雅」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐ひろまさ【源博雅】

[918?~980]平安中期の雅楽家。醍醐天皇の皇子克明親王の子。博雅三位はくがのさんみと称される。雅楽に精通し、琴・琵琶そう・笛などの名手。伝説的な逸話が多い。

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精選版 日本国語大辞典 「源博雅」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐ひろまさ【源博雅】

  1. 平安中期の雅楽家。醍醐天皇皇子克明親王長子。俗に博雅三位(はくがのさんみ)と称された。琴・笛・琵琶や篳篥(ひちりき)などにすぐれ、当代随一の雅楽の名手とされた。「長慶子」を作曲。「長竹譜」を著わした。天元三年(九八〇)没。

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改訂新版 世界大百科事典 「源博雅」の意味・わかりやすい解説

源博雅 (みなもとのひろまさ)
生没年:918-980(延喜18-天元3)

平安中期の雅楽家。醍醐天皇皇子克明親王の長男,母は藤原時平女。934年(承平4)従四位下で出身の後,従三位,皇太后宮権大夫に至る。博雅三位(はくがのさんみ)といわれ,音楽の才きわめてすぐれていた。演奏では琵琶,笛,琴,大篳篥(だいひちりき)をはじめ古今の名手と尊ばれ,作曲では退出の楽に用いられる《長慶子(ちようげし)》が有名である。楽書(がくしよ)や説話集に,朱雀門の鬼から名笛〈葉二〉を得たり,逢坂山の蟬丸に3年間通って秘曲《流泉》《啄木》をならったなど多くの逸話を伝えている。子の信貞,信明,信義,至光もみな音楽に秀で,その道を伝えた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「源博雅」の意味・わかりやすい解説

源博雅
みなもとのひろまさ
(918―980)

平安中期の雅楽家。醍醐天皇皇子克明親王(よしあきらしんのう)の長男。母は藤原時平の娘。臣籍に下り源姓を賜る。934年(承平4)従四位下で出身、京官を歴任し、974年(天延2)に従三位皇太后宮権大夫(こうたいこうぐうごんのだいぶ)に任じられた。そのことから博雅三位といわれたが、音楽の才に恵まれ、琵琶、笛、和琴(わごん)、篳篥(ひちりき)をはじめとする諸楽に通じ、古今の名手とうたわれた。作曲も行い、退出に用いられる「長慶子(ちょうげし)」は有名であり、笛譜『新撰楽譜』『博雅笛譜』は村上天皇の命で撰上されたものである。音楽の逸話が多く、逢坂山に棲む蝉丸(せみまる)のもとに三年間通い続けて琵琶の秘曲「流泉(りゅうせん)」、「啄木(たくぼく)」を伝授されたとか、失われた宮中の琵琶「玄象(げんじょう)」を羅城門の鬼から返してもらった話は、楽書や説話集に記され広く知られている。

[植木行宣]

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朝日日本歴史人物事典 「源博雅」の解説

源博雅

没年:天元3.9.28(980.11.8)
生年:延喜18(918)
平安前期の官人,音楽家。醍醐天皇皇子の克明親王と藤原時平の娘の子。賜姓源氏。京官を歴任したあと,天延2(974)年従三位皇太后宮権大夫に任じられたことから博雅三位と呼ばれた。和琴を叔父の藤原忠敦,横笛を源雅信から学んだのをはじめ,琵琶,篳篥などあらゆる楽器に通じ,村上天皇の命を受けて笛譜『新撰楽譜』『博雅笛譜』を選上している。誕生の際天から音楽が聞こえてきたとか,蝉丸から琵琶の秘曲を伝授されたいがために3年間,逢坂の関に通ったとか,宮中の琵琶「玄象」が失くなったとき博雅が音をたずねて羅城門に至り鬼からそれを返してもらった,といった音楽にまつわる逸話が多い。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「源博雅」の意味・わかりやすい解説

源博雅
みなもとのひろまさ

[生]延喜18(918)
[没]天元3(980)
平安時代中期の雅楽家。「はくが」とも呼ばれる。醍醐天皇の孫。克明親王の子。従三位皇后宮権大夫となったところから,その唐名をもって長秋卿,博雅三位とも呼ばれた。康保3 (966) 年に雅楽の笛譜『博雅笛譜』を著わした。笛,篳篥 (ひちりき) の名手で,それらにまつわる数々の伝説がある。歌物の流派の一つである藤家の祖ともされる。唐楽『長慶子 (ちょうげいし) 』の作曲者ともいわれるが,明らかではない。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源博雅」の解説

源博雅 みなもとの-ひろまさ

918-980 平安時代中期の公卿(くぎょう),雅楽家。
延喜(えんぎ)18年生まれ。克明(よしあきら)親王の第1王子。母は藤原時平の娘。醍醐(だいご)源氏。従三位,皇太后宮権大夫(ごんのだいぶ)。博雅(はくがの)三位,長秋卿とよばれる。横笛,琵琶(びわ),大篳篥(おおひちりき)の名手で,その楽才をたたえる説話がおおい。勅により「新撰楽譜」を撰した。天元3年9月28日死去。63歳。

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世界大百科事典(旧版)内の源博雅の言及

【雅楽】より

…この傾向はその後も続き,10世紀に入ると〈御遊〉という形で,もっぱら鑑賞のために管絃などが行われるようになった。 このような風潮のうちで邦人作曲家によって外来楽の様式を模した作品が多くつくられ,大戸清上(おおとのきよかみ)の《北庭楽》《拾翠楽》《海青楽》《壱団橋》,藤原忠房の《延喜楽》,源博雅の《長慶子(ちようげし)》など,その多くは今日も演奏されている。また9世紀前半ころに催馬楽,10世紀末までには朗詠という,いずれも声楽中心の新しい種目がつくられた。…

【長慶子】より

…現在でも演奏会の最終曲として必ず奏されるし,儀式のときの参会者の退場音楽としても演奏する。平安時代中期に,琵琶,箏,笛,篳篥(ひちりき)などの名手として活躍した源博雅(みなもとのひろまさ)(博雅三位)が作曲したとも改作したとも伝える。立楽(たちがく)や管絃のときは管絃吹で,舞楽の退出音声のときは舞楽吹で吹かれる。…

※「源博雅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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