人間の脳や社会などのような、こみいった構造と体系をもつものを一般に複雑系という。これとは逆に、構造が簡単で、その動きを予測するのが容易なものを単純系という。単純系は、工作機械のように機能があらかじめ定められた体系になっているが、複雑系は構造や機能を柔軟に変化させる。
[中村量空]
複雑系は、以下の三つの特性によって特徴づけられる。
その第一は開放性である。開放性とは、系の外部にエネルギーを放出したり、外部からエネルギーを吸収したりすることを意味している。これに対して、外部とエネルギーなどのやりとりをしない系を閉鎖系という。閉鎖系は単純系に分類される。複雑系はまず第一に開放系でなければならない。
第二の特徴は非線形性である。非線形性の反対語は線形性である。線形性とは自然数の足し算の効果を意味し、たとえば電池の直列接続のように、3ボルトと3ボルトの合計は6ボルトになるという単純な性質を表している。非線形性は、単なる足し算の効果に何かがプラスされた効果の表れを意味し、漢方薬における相乗効果のように、個々の作用の和よりも大きな効果がもたらされる性質の数学的な表現になっている。
第三の特徴は、近年とくに注目されている自己組織性である。単純な物質系では、鉄が磁石になるような自発的な秩序化の現象が知られているが、それはあらかじめ定められた単一性の変化であって、多様性を備えた予測の困難な組織化現象ほどには複雑ではない。一方、生物の免疫系や人間社会などの複雑系は、さまざまに変化する外部環境に適応するように、自分自身を自律的に制御しながら多様に変化し組織化していく。このような性質を自己組織性という。開放性、非線形性、自己組織性によって特徴づけられた複雑系が示す諸現象は、その系を構成する要素間の相互作用に還元することができない。複雑系に特有な自己組織化の性質は、要素間の相互作用の内容までも変えてしまう。要素を分離して系全体の機構を探るという従来の科学の方法は、複雑系を解明するには不十分である。
[中村量空]
複雑系の研究は、19世紀末までさかのぼることができる。フランスの数理科学者ポアンカレは、三つの星が互いに作用を及ぼす三体問題の研究(1892)を通して、太陽系の小さな惑星が不規則な運動をする事例を発見した。彼の考えた惑星運動のモデルは、非線形性をもった方程式で表現されていたために、規則的ではない予測の困難な惑星運動が理論的にみいだされたのである。20世紀に入ると、非線形方程式が生態系の変動モデルに応用されるようになり、1925年のロトカAlfred James Lotka(1880―1949)や1931年のウォルテラVito Volterra(1860―1940)などの研究によって、生態系における捕食者と被食者の複雑な個体数の変化の動向がわかるようになった。系の非線形性を探る研究は乱流や気象変動の解明にも応用され、コンピュータの発達とともに、これまで解析が困難であった非線形力学の分野を発展させる結果となった。
現代的な意味でいう複雑系研究の新分野の開拓は、1980年代の中ごろから始まった。細分化していく科学の手に負えない複雑なシステム(系)に共通する課題を、「新しき統合」という名のもとに探究する機構が、アメリカのニュー・メキシコ州にあるサンタ・フェ研究所(SFI)でスタートした(1984)。ノーベル物理学賞を受賞したアンダーソンやゲルマン、それにノーベル経済学賞を受賞したアローなどが中心となって、物質、生物、社会、情報など広領域の複雑系を研究する学際的な研究者集団がサンタ・フェ研究所で組織された。少し遅れて日本でも、場の研究所所長の清水博(1932― )が提起した「生物学的複雑さと情報」に関する国際的なシンポジウムが開催された(1989)。
[中村量空]
現在の複雑系研究の課題としては、コンピュータを用いた生物の進化過程の解明、社会の発達の複雑性の分析、自然界の混沌(こんとん)とした諸形態の多様性の探究などが、主要なテーマになっている。コンピュータは現代の有力な解析手段であり、コンピュータの内部で人工的に生命を誕生させる研究や、生物の遺伝に似たプログラムの開発も、この分野の魅力的な研究テーマである。組織形態や情報通信の現象には、秩序的でもなく無秩序的でもない混沌としたカオスとよばれる状態があり、このカオスの広がりの縁に複雑度の高い領域があることも近年の研究で明らかになってきた。組織化された社会や経済市場が複雑適応系としてモデル化できるようになり、これまで未解明であった社会形態の複雑な変動を、自律性のある自己組織化現象として研究することが可能になった。複雑系の研究は、物質や生物の複雑性の探究に始まり、いまや広く社会現象の解明にまで発展している。都市形成や経済システムなど、現代の複雑化したさまざまな社会現象の解明も進んでいる。
[中村量空]
『金子邦彦・津田一郎著『複雑系のカオス的シナリオ』(1996・朝倉書店)』▽『金子邦彦・池上高志著『複雑系の進化的シナリオ』(1998・朝倉書店)』▽『「複雑系の事典」編集委員会編『複雑系の事典――適応複雑系のキーワード150』(2001・朝倉書店)』▽『中村量空著『複雑系の意匠』(中公新書)』▽『吉永良正著『「複雑系」とは何か』(講談社現代新書)』
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(桂利行 東京大学大学院教授 / 2007年)
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