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西サハラ にしサハラWestern Sahara

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

西サハラ
にしサハラ
Western Sahara

スペイン領サハラ。アフリカ大陸北西部,大西洋に面する旧スペイン海外県。サギエエルハムラ地方 (北) とリオデオロ地方 (南) とからなる。主要都市はアイウン。ほとんどが砂漠と岩石で覆われ,わずかに海岸とオアシスでナツメヤシなどが栽培され,現在ベルベル人がラクダ,ヤギ,ヒツジなどを飼い遊牧生活をおくる。ベルベル人は中世に広く占拠していたが,のちにアラビア語を話すベドウィン族に圧倒された。 1434年ポルトガル人が来航,1884年スペイン=アフリカ協会がリオデオロ海岸の部族と条約を結んで勢力を伸ばし,やがて海岸一帯を保護領とした。 1958年スペインの海外県となった。 1974年同国が非植民地化の方針を出して以来,モロッコモーリタニアによって分割統治されたが,これに反対して民族自決を主張するアルジェリアの支援のもとに民族解放組織ポリサリオ戦線が結成され,モロッコ,モーリタニア軍に対する武力抗争が開始された。その後モーリタニアとの間には和平協定が成立 (1979) したが,モロッコに対するゲリラ戦が続き,1976年ポリサリオ戦線によって「サハラ・アラブ民主共和国」の樹立が宣言された。 1991年国連の仲介で双方は和平案を受諾し,1992年に独立かモロッコへの帰属かを決める住民投票が行なわれることになっていたが,有権者資格をめぐって双方が対立,投票は延期されている。確認埋蔵量 17億tのリン鉱脈のほか,石油,鉄,カリウムなどが埋蔵されている。面積 25万2120km2。人口 50万7000(2011推計)。人口は雨季 (9~11月) に流入し乾季に去る遊牧民のため,大幅に変動する。 (→西サハラ紛争 )  

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デジタル大辞泉の解説

にし‐サハラ【西サハラ】

アフリカ北西部、サハラ砂漠西端の地域。旧スペイン領サハラ。中心都市アイウン。1975年、スペインが領有権を放棄し、1976年、隣国のモーリタニアモロッコが分割統治。同年、西サハラのポリサリオ戦線がサハラ‐アラブ民主共和国として独立を宣言。1979年、モーリタニアは領有を放棄したが、モロッコは全域の領有を続け、紛争が続いている。燐(りん)鉱山があり、大西洋沖は好漁場。人口49万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

西サハラ【にしサハラ】

アフリカ北西部,大西洋岸にある旧スペイン海外領の地域。25万2120km2。36万人(2004)。大部分が砂漠で,オアシスの農業,ベルベル人の遊牧が行われる。
→関連項目ダフラマグリブモーリタニアモロッコ

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世界大百科事典 第2版の解説

にしサハラ【西サハラ Western Sahara】

北西アフリカの西端にある係争地域。旧スペイン領サハラで,1976年にスペインが撤退して以降モロッコが領有している。しかし西サハラ住民の民族運動組織である〈ポリサリオPOLISARIO戦線(サギア・アルハムラとリオ・デ・オロ解放のための人民戦線)〉が〈サハラ・アラブ民主共和国Jumhūrīya al‐‘Arabīya al‐Dimuqrāṭīya al‐Ṣaḥrāwī〉の樹立を宣言(1976年2月)して武装抵抗を継続中であり,国連による調停活動が行われているが,西サハラの国際的地位は現在(1997年12月)もなお定まっていない。

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大辞林 第三版の解説

にしサハラ【西サハラ】

〔Western Sahara〕 西アフリカ、サハラ砂漠の西端部にあたる領域。旧スペイン領サハラ。1976年スペインが領有権を放棄。モロッコが統治しているが、独立を主張する西サハラのポリサリオ戦線がアルジェリアにサハラ-アラブ民主共和国の亡命政権を樹立。紛争が続いている。リン鉱石の世界的な産地。中心都市アイウン。住民はアラブ人とベルベル人。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西サハラ
にしさはら
Western Sahara

北西アフリカ西端にある地域。旧スペイン領サハラ。北はモロッコ、東から南にかけてモーリタニア、北東端の一部でアルジェリアと国境を接し、西は大西洋に面する。面積25万2120平方キロメートル、推計人口21万4000(1993)とされるが、政策的なモロッコ人移民の大量流入と、西サハラ住民のアルジェリアやモーリタニアへの難民流出で、人口は不詳であり、このことが国民投票の有権者登録作業を困難にしている。首都はアイウン(別称ラーユヌ)。地形は全土がサハラ砂漠の西縁をなす台地と、これを刻むワジとよばれる涸(か)れ川や盆地からなる。年降水量100ミリメートル以下の極乾燥地域が大部分である。海岸部はカナリア海流(寒流)が南流するため比較的過ごしやすく、月平均気温はダフラで8月23℃、1月17℃であるが、内陸部は1日の較差、年間の較差ともに大きく、夏暑く冬寒い。北部は冬少雨があり農耕可能である。住民はアラブ・ベルベル系住民が大部分で、アラビア語方言を話すが、スペイン語も通じる。宗教はイスラム教である。基本的な生業はラクダ、ヒツジ、ヤギの遊牧、オアシス農業、通商である。内陸のブクラアに世界有数の燐(りん)鉱山があり、ベルトコンベヤーで運ばれアイウンから輸出される。広い大陸棚とカナリア海流の恵みにより沖合いは好漁場で、アイウン、ダフラが漁業基地になっている。アルジェリアのティンドゥーフ地域に流出した難民は養鶏業を行っている。[藤井宏志]

歴史

古くからアラブ・ベルベル系遊牧民の居住地域であったが、15世紀にスペイン人が大西洋岸に進出し、港を開き商館を置いた。ヨーロッパ列強のアフリカ分割により、1884年スペインはこの地域の北部にサギア・アル・ハムラ、南部にリオ・デ・オロの二つの植民地をつくり、カナリア諸島の属領とした。1956年両植民地は統合されてスペイン領サハラとなり、一般に西サハラとよばれた。第二次世界大戦後、住民の独立への要求が高まり、1968年サハラ解放戦線(後のポリサリオ戦線)を結成した。一方、モロッコは、大モロッコ主義の考えから、西サハラの領有を主張し、1975年「緑の行進」を挙行した。1976年2月27日、ポリサリオ戦線が「サハラ・アラブ民主共和国」(SADR)の樹立を宣言したことに対応し、同年7月スペインは西サハラから撤退、同地をモロッコとモーリタニアに分割領有させた。ポリサリオ戦線は両国への独立闘争を開始。モーリタニアはポリサリオ戦線の攻撃により大損害を受け、1979年分割領有を放棄し、国土は事実上モロッコが領有することになった。しかしモロッコの実質支配下にあるのは拠点のみといわれ、アイウンも周囲を高い防塁で守られている。1988年、独立かモロッコへの併合かを決める住民投票の実施を内容とする国連事務総長和平案を、ポリサリオ戦線、モロッコ双方が原則受託したが、有権者登録作業が進まないことを理由に、投票実施は延長を重ねた。一度は1998年12月7日に投票が実施されることになったが、投票資格をめぐりポリサリオ戦線が反対、投票日は99年12月以降に延期された。1997年現在、70数か国がSADRを承認している。[藤井宏志]

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世界大百科事典内の西サハラの言及

【モロッコ】より

…正式名称=モロッコ王国al‐Mamlaka al‐Maghribīya∥Kingdom of Morocco面積=45万8730km2(西サハラを除く)人口(1996)=2673万人首都=ラバトal‐Rabāt(日本との時差=-9時間)主要言語=アラビア語,ベルベル語通貨=ディルハムDirham北アフリカ(マグリブ地方)の独立国。
【自然,住民】
 アフリカの北西端にあり,北は地中海,西は大西洋に面している。…

※「西サハラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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