日本大百科全書(ニッポニカ) 「西合志」の意味・わかりやすい解説
西合志
にしごうし
熊本県北部、菊池郡にあった旧町名(西合志町(まち))。現在は合志市(こうしし)の西部を占める。旧西合志町は1966年(昭和41)町制施行。2006年(平成18)合志町と合併、市制施行して合志市となった。旧町域は全域、段丘礫(れき)層で覆われた標高40~80メートルの合志台地からなる。北端の塩浸(しおひたし)川、上生(わぶ)川の流域を除けば耕地の大半が畑地で、昭和30年代後半までは桑園が広く展開、その後、酪農、養鶏が中核となるが、南接の熊本市の発展に伴って、南部では住宅地との共存がむずかしく、スイカを含めた蔬菜(そさい)園芸に転換し始めている農家もかなりある。また南部から中央部にかけ、熊本電気鉄道、それと並走する国道387号沿いには国立療養所、農業研究センター、熊本職業能力開発促進センター(ポリテクセンター熊本)ほか相当数の医療、研究、教育施設が集中している。南端を東西に流れる堀川は、水の便の悪い肥後台地の開墾を意図し、1588年(天正16)領主となった加藤清正によって開削されたもので、急速な都市化は、その排水能力を超えた家庭雑排水を流し込ませ、少量の降雨でも氾濫(はんらん)しやすくなっている。文化財としては二子山石器製作遺跡(ふたごやませっきせいさくいせき)(国指定史跡)のほか、黒松古墳群が有名である。
[山口守人]