出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
西川正治
にしかわしょうじ
(1884―1952)
X線回折および原子核に関する実験物理学者。東京生まれ。1910年(明治43)東京帝国大学実験物理学科を卒業し、同大学大学院に入り、木下季吉(すえきち)(1877―1935)の指導を受けた。まもなく寺田寅彦(とらひこ)の勧めでX線回折の研究に従事し、1916年(大正5)「スピネル」群の結晶構造により学位を得た。翌1917年には、この功績により帝国学士院賞を受賞するとともに、理化学研究所に入った。3年間の海外留学ののち理研主任研究員、東京帝大教授となった(1924)。理研では、菊池正士(せいし)の研究に助力するとともに、長岡研究室、仁科(にしな)研究室と共同で原子核実験室を開設し、サイクロトロン、コッククロフト加速装置を建設した。第二次世界大戦後、日本結晶学会を創立し、初代会長となった。1951年(昭和26)文化勲章を受けた。
[小林武信]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
西川 正治
ニシカワ ショウジ
大正・昭和期の物理学者 東京帝大名誉教授;日本結晶学会初代会長;日本数学物理学会会長。
- 生年
- 明治17(1884)年12月5日
- 没年
- 昭和27(1952)年1月5日
- 出生地
- 神奈川県南多摩郡八王子(現・東京都八王子市)
- 学歴〔年〕
- 東京帝大理科大学実験物理学科〔明治43年〕卒
- 学位〔年〕
- 理学博士
- 主な受賞名〔年〕
- 帝国学士院賞〔大正6年〕,文化勲章〔昭和26年〕
- 経歴
- 東京帝大卒業後、母校の寺田寅彦のもとでX線回折の実験を行い、大正4年「スピネル群のいくつかの結晶構造」を発表する。11年助教授となり、13年教授、昭和20年定年退官。この間、大正6年理化学研究所の創立に参加、11年から西川研究室を主宰。昭和の初めから原子核の研究に着手、仁科芳雄とサイクロトロンの建設も行った。昭和12年学士院会員。戦後の24年に小林理学研究所理事兼主任研究員となるとともに日本結晶学会初代会長、日本数学物理学会会長も歴任。26年文化勲章受章。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
西川正治 (にしかわしょうじ)
生没年:1884-1952(明治17-昭和27)
実験物理学者。八王子市に生まれる。1910年東京帝国大学を卒業,大学院に進み,まず大気中の放射性生成物の量の測定に従事したが,M.ラウエの結晶によるX線の回折の発見に着目して,寺田寅彦の指導の下,X線回折像を結晶構造の解析に応用する研究に転じた。15年発表したスピネルの結晶構造決定は,空間群の理論の適用のさきがけとして世界的に有名である。17年理化学研究所に入り,研究室主任として(1922-49),また東京大学教授として(1924-45),X線結晶学,電子線回折,原子核物理学の分野で,多くの優れた研究者を育てた。雲母薄膜による電子線回折を実証した菊池正士は有名である。51年文化勲章を受けた。
執筆者:玉木 英彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
西川正治【にしかわしょうじ】
実験物理学者。八王子市生れ。1910年東京帝国大学卒業。寺田寅彦の指導のもとで結晶構造の解析にX線回折像を応用する研究に従事,スピネルの結晶構造決定はアメリカのX線結晶学に影響を与えるなど世界的に知られる。1917年理化学研究所の創設に参加,西川研究室を主宰するとともに,東京大学教授として,X線結晶学のほか,電子線回折,原子核物理学の分野で研究者を育成した。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
Sponserd by 
西川正治
にしかわしょうじ
[生]1884.12.5. 東京,八王子
[没]1952.1.5. 東京
物理学者。東京帝国大学物理学科を卒業 (1910) 。同大学教授 (22~45) 。 1917年スピネルの原子配置ならびにひずみを受けた物体の「X線検査に関する研究」で帝国学士院賞を受賞,22年より東京帝国大学教授のまま理化学研究所で西川研究室を主宰し,X線回折,電子線回折の研究で国際的にも高く評価される業績をこの研究室から出した。 51年文化勲章を受章。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
西川正治 にしかわ-しょうじ
1884-1952 大正-昭和時代の物理学者。
明治17年12月5日生まれ。寺田寅彦(とらひこ)の指導でX線回折実験により結晶構造を研究し,大正6年学士院賞。同年理化学研究所にはいり,13年母校東京帝大の教授。理研では仁科芳雄らとサイクロトロンを建設した。日本結晶学会初代会長。昭和26年文化勲章。昭和27年1月5日死去。67歳。東京出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
西川 正治 (にしかわ しょうじ)
生年月日:1884年12月5日
大正時代;昭和時代の物理学者。日本結晶学会初代会長;日本数学物理学会会長
1952年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 