日本歴史地名大系 「観音寺遺跡」の解説
観音寺遺跡
かんのんじいせき
観音寺遺跡
かんのんじいせき
有田川左岸の標高一三―一五メートルを測る河岸段丘と沖積平野に位置する古代から中世にかけての大規模な複合遺跡。昭和五五年(一九八〇)から五六年にかけて発掘調査が実施された。段丘上からは中世の観音寺跡に関連すると考えられる掘立柱建物跡や区画用の溝跡など、沖積平野と段丘の境界からは弥生時代後期から室町時代に至る農業用水路と推定される溝群を十条検出した。十条の溝群は時代によって、層位・規模・流路を変えているが、平野と段丘の境界部に掘削される点は各時代に共通する。有田川の氾濫や段丘よりの落込みなどの条件に規定され、弥生時代後期・古墳時代前期―中期・奈良時代後半・平安時代前期―中期・同後期・鎌倉時代前半・同後半・室町時代前半の各時期に、掘削・改修・廃絶・新掘削を繰返したものと考えられる。
観音寺遺跡
かんのんじいせき
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報