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角兵衛獅子 カクベエジシ

百科事典マイペディアの解説

角兵衛獅子【かくべえじし】

大道芸の一つ。獅子頭をつけた少年の踊子が,親方(または組頭)の口上や太鼓に合わせ,逆立ちなどの曲芸を演じる。もと越後蒲原地方に興ったというが,江戸中期以後,江戸その他に進出して人気を集めた。
→関連項目獅子舞

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世界大百科事典 第2版の解説

かくべえじし【角兵衛獅子】

越後獅子の江戸における呼び名。蒲原(かんばら)獅子ともいう。新潟県西蒲原郡月潟村を本拠地とした子供たちによる門付の獅子舞曲芸であったが,今日では民俗芸能として伝承され,6月24,25日の月潟祭(角兵衛地蔵祭)に白山神社の境内で演じられている。由来については生計のためとか親の仇を捜すためとか諸説があって明らかでないが,少なくとも宝暦期(1751‐64)には始まっていて,天明から文政年間(1781‐1830)に盛行期を迎え,地唄や長唄物の舞踊にとり込まれたりもした。

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大辞林 第三版の解説

かくべえじし【角兵衛獅子】

越後獅子えちごじし 」に同じ。かくべじし。 〔角兵衛は獅子頭を彫った名工の名という〕

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

角兵衛獅子
かくべえじし

少年少女たちの演ずる軽業(かるわざ)の獅子舞。昭和に入ってからは新潟県西蒲原(にしかんばら)郡月潟(つきがた)村(現、新潟市南区)の郷土芸能となったが、もとは門付(かどづけ)の巷間(こうかん)芸能であった。親方が数名の獅子の児(こ)を連れて一年中諸国を巡って歩き、6月25日の月潟村の地蔵祭には帰村して奉納した。親方だけが月潟または近隣に籍を置き、獅子の児は他所(よそ)の孤児などもらい子だった。扮装(ふんそう)は、小さな赤い獅子頭(がしら)を頭に頂き、筒袖(つつそで)の着物に襷(たすき)を掛け、卍(まんじ)紋の入った胸当てをし、裁着袴(たっつけばかま)をはき、白い手甲をつけ、日和下駄(ひよりげた)を履いて、腹に腰鼓をつける。芸には、金の鯱(しゃちほこ)、蟹(かに)の横這(よこば)い、獅子の乱菊、淀(よど)の川瀬の水車などの一人芸と、二人一組芸の肩櫓(かたやぐら)、大井川の川越(かわごし)、唐子(からこ)人形の御馬乗りなどがある。由来譚(たん)は水戸浪人角兵衛の伝授など数種あるが、その存在が宝暦(ほうれき)期(1751~64)まではさかのぼれる。越後(えちご)獅子、蒲原獅子、月潟の獅子ともいう。江戸風俗を飾り、地歌、富本節(とみもとぶし)、長唄(ながうた)舞踊劇、下座(げざ)音楽などの題材となった。[西角井正大]

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世界大百科事典内の角兵衛獅子の言及

【獅子舞】より

…盆の供養,夏祈禱,雨乞いなどに踊られることが多く,三匹獅子舞では獅子頭のほか,地理的地域的条件により竜,猪,カモシカ(鹿),熊形などの頭がある。 新潟県の角兵衛獅子は二人立ちと一人立ちが習合したものと思われる。【西角井 正大】。…

【月潟[村]】より

…自然堤防上では古くからナシの栽培が盛んで,大別当(おおべつとう)にある樹齢170年と伝えられる類産ナシは,ナシ栽培が導入された当時の古品種で,天然記念物に指定されている。越後獅子の名で知られ,農閑期の旅稼ぎでもあった角兵衛獅子発祥の地で,6月23~25日の月潟地蔵堂の祭礼には地元の保存会によって角兵衛獅子が奉納される。【佐藤 裕治】。…

※「角兵衛獅子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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