江戸前期の貿易商人。伊勢(いせ)(三重県)松坂の廻船(かいせん)問屋に生まれる。1631年(寛永8)安南(ベトナム)へ渡航し、国王の一族阮氏(げんし)の娘と結婚。鎖国後も現地にとどまり、交趾(こうち)日本町の頭領となった。寛文(かんぶん)年間(1661~73)の初め、海外居住邦人の日本への通信が許されて、消息が明らかになり、以後彼は年々中国船に資金を融通し、商品を託送するなど故国との取引を継続した。彼が、松坂の本家角屋七郎次郎にあてた注文状などによりその活躍状況が明らかにされ、また日本町の状況をもうかがい知ることができる。なお交趾ツーラン近郊の蝋石(ろうせき)山磨崖(まがい)の碑には、40年仏像重修寄進者の一人として彼の名が刻まれている。
[沼田 哲]
『川島元次郎著『朱印船貿易史』(1921・内外出版社)』▽『岩生成一著『南洋日本町の研究』増訂版(1966・岩波書店)』
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…しかし,日本人の大部分は商業に従事し,とくに日本から来航する朱印船のために,生糸,鹿皮,鮫皮,蘇芳木(すおうぎ)(赤色系の染料)などの商品を買い集めた。日本内地の朱印船貿易商の中には,自分の親戚や使用人を現地に常駐させる者もあり,フェイフォの平野屋六兵衛,角屋七郎兵衛,アユタヤの糸屋太右衛門などはその例であった。 これほど繁栄した日本人町も,1633年(寛永10)以後の一連の鎖国令による海外渡航禁令の強化に伴って,朱印船が来航しなくなり,また内地からの新しい人材の供給を絶たれることになった。…
※「角屋七郎兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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