谷口久吉(読み)タニグチ ヒサキチ

20世紀日本人名事典 「谷口久吉」の解説

谷口 久吉
タニグチ ヒサキチ

昭和期の俳人 山陽新聞社長



生年
明治22(1889)年12月1日

没年
昭和43(1968)年11月2日

出生地
岡山県津山市

別名
号=古杏

学歴〔年〕
大阪泰西学館中学部〔明治41年〕卒

主な受賞名〔年〕
岡山市名誉市民,津山市名誉市民

経歴
谷口徳治郎の長男に生まれる。明治41年妹尾銀行に入行、銀行合併で、昭和21年中国銀行副頭取となり、22年合同新聞社(のちの山陽新聞社)社長に就任。23年岡山で日本初の日展地方開催を実現、更に岡山県名宝展を開いた。太平洋戦争で荒廃していた岡山・後楽園の延養亭や能楽堂復旧にも尽力、同園の整備精力を傾け、戦後の混迷期に文化面へ多くの事跡を残した。26年山陽新聞社会長、28年ラジオ山陽(のちの山陽放送)創立と共に初代社長となる。30年頃には岡山県総合文化センター期成会副会長、明るい県民運動推進のための会会長、良寛生誕200年奉賛会長などのほか100を超える公職にあった。中でも岡山大学施設整備委員会副会長として同大の創設に尽力、多額の寄付集めに奔走、中央の政財学界の支持を取り付けるなど、同大の基盤作りに大いに貢献した。陶芸にも通じ益子焼の浜田庄司らと親交し、茶道は裏千家老分として家元補佐、岡山県淡交会支部長を務めた。また俳句への造詣が深く、7年臼田亜浪門に入ってから本格化、俳人として知られた。長尾蟬水・越智幸雄らと俳誌「白道」の同人となり、亜浪主宰の「石楠」派重鎮として句界を導いた。合同新聞社時代、復刊した「白道」を「合同俳句」と改題して各流派に解放した。句集に「萩の塚句集」「杏」「白百合」「吉備国源」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷口久吉」の解説

谷口久吉 たにぐち-ひさきち

1889-1968 昭和時代の経営者。
明治22年12月1日生まれ。昭和21年中国銀行副頭取,22年合同新聞(現山陽新聞)社長,28年ラジオ山陽(現山陽放送)社長。後楽園の整備,岡山大の創設に尽力するなど,岡山県の文化,教育の振興にもつとめた。俳人として知られ,「萩の塚句集」などがある。昭和43年11月2日死去。78歳。岡山県出身。泰西学館卒。号は古杏。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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