谷田忠兵衛(読み)たにだちゅうべえ

改訂新版 世界大百科事典 「谷田忠兵衛」の意味・わかりやすい解説

谷田忠兵衛 (たにだちゅうべえ)

江戸後期の漆工家。生没年不詳。〈たんだちゅうべえ〉とも呼ぶ。江戸の人。宝暦明和年間(1751-72)に活躍し,のちに阿波の蜂須賀家に召し抱えられた。密陀絵漆絵蒔絵を併用して華麗に加飾し,琳派風の絵を描き,作品は〈谷田蒔絵〉と称された。また金箔をはった上にたんぽでこすって斑文をだす〈金こがし〉は彼の独特の手法である。代表作に〈秋草密陀絵蒔絵食籠〉(東京国立博物館)。
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百科事典マイペディア 「谷田忠兵衛」の意味・わかりやすい解説

谷田忠兵衛【たんだちゅうべえ】

江戸中期,宝暦・明和期の漆工。生没年不詳。江戸に生まれ,蜂須賀家に召しかかえられて阿波に移った。朱漆の地に白,黄,茶,萌黄(もえぎ)などの色漆で文様を描く一種漆絵創案器物内部には,金箔(きんぱく)をすって斑文を出す〈金こがし〉の手法を用いた。

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朝日日本歴史人物事典 「谷田忠兵衛」の解説

谷田忠兵衛

生年:生没年不詳
江戸中期の漆芸家。江戸の生まれで,のちに阿波10代藩主蜂須賀重喜に召し抱えられ徳島に移る。作風は,朱漆の地に黄,茶,緑,白などの彩漆を用いて文様を描いた彩り豊かなもので,蒔絵や,金こがし(金箔を押してからタンポなどでこすり,斑文を出す方法)なども併用して独特の表現を確立した。代表作として「草花漆絵花見弁当」(徳島城博物館蔵),「草花漆絵食籠」(東京国立博物館蔵)などをあげることができる。<参考文献>風俗絵巻図書刊行会編『蒔絵師伝・塗師伝』

(小松大秀)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「谷田忠兵衛」の意味・わかりやすい解説

谷田忠兵衛
たんだちゅうべえ

江戸時代中期の漆工。宝暦~明和期 (1751~72) 頃活躍。蜂須賀重喜に仕えた。朱塗りの上に彩漆 (いろうるし) ,密陀絵 (みつだえ) などで光琳風の文様を描いたものや,黒漆塗りの上に金箔を押し,独特の斑文を作った「谷田蒔絵」などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷田忠兵衛」の解説

谷田忠兵衛 たんだ-ちゅうべえ

?-? 江戸時代中期の漆工。
宝暦-明和(1751-72)ごろ活躍。阿波(あわ)徳島藩主蜂須賀重喜(はちすか-しげよし)につかえる。作品は谷田蒔絵(まきえ)とよばれた。忠兵衛が創始したといわれる「金こがし」などの技法は1代でとだえた。江戸出身。代表作に「草花漆絵食籠」。

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世界大百科事典(旧版)内の谷田忠兵衛の言及

【谷田忠兵衛】より

…江戸後期の漆工家。生没年不詳。〈たんだちゅうべえ〉とも呼ぶ。江戸の人。宝暦・明和年間(1751‐72)に活躍し,のちに阿波の蜂須賀家に召し抱えられた。密陀絵,漆絵,蒔絵を併用して華麗に加飾し,琳派風の絵を描き,作品は〈谷田蒔絵〉と称された。また金箔をはった上にたんぽでこすって斑文をだす〈金こがし〉は彼の独特の手法である。代表作に〈秋草密陀絵蒔絵食籠〉(東京国立博物館)。【郷家 忠臣】…

※「谷田忠兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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