豊竹 呂太夫(5代目)
トヨタケ ロダユウ
- 職業
- 義太夫節太夫(文楽)
- 専門
- 人形浄瑠璃
- 本名
- 青木 正
- 別名
- 前名=豊竹 若子太夫
- 生年月日
- 昭和20年 7月28日
- 出生地
- 群馬県 前橋市
- 学歴
- 立教大学文学部〔昭和42年〕卒
- 経歴
- 昭和27年10代目豊竹若太夫に入門、若子太夫を名乗る。29年初舞台。42年師匠の死で3代目春子太夫門下となり、同年5代目呂太夫を襲名。49年再び師匠の死で4代目竹本越路太夫の門下へ。“原宿文楽”“池袋文楽”“紀尾井文楽”など文楽の普及活動にも努めた。
- 受賞
- 大阪府民劇場奨励賞〔昭和52年〕,芸術選奨文部大臣新人賞〔昭和54年〕,国立劇場文楽賞(奨励賞)〔昭和56年〕,国立劇場文楽賞(優秀賞)〔昭和60年・62年・63年・平成1年〕,松尾芸能賞(優秀賞 第9回)〔昭和63年〕,京都市芸術新人賞(昭62年度)〔昭和63年〕
- 没年月日
- 平成12年 9月9日 (2000年)
豊竹 呂太夫(初代)
トヨタケ ロダユウ
- 職業
- 義太夫節太夫(文楽)
- 本名
- 上西 吉兵衛
- 生年月日
- 天保14年
- 出生地
- 大坂・天満(大阪府)
- 経歴
- 大坂・天満の“はらはら薬”本家二男で“はらはら屋の呂太夫”と呼ばれた。素人浄瑠璃から入り、素人名は先代の名素人、呂篤を継いだ。明治5年30歳で道頓堀竹内芝居に出たのが玄人太夫初舞台。のち初代古靭太夫の門に入り、初めて呂太夫を名乗り、稲荷文楽軒の芝居で自己改名披露。17年文楽座が松島から御霊に移った時以来同座に出演。時代物を得意とし、「菅原」の時平を当たり役とした。太い伸びのある音量で魅了した。36年引退。
- 没年月日
- 明治40年 3月30日 (1907年)
豊竹 呂太夫(2代目)
トヨタケ ロダユウ
- 職業
- 義太夫節太夫(文楽)
- 本名
- 堀 卯兵衛
- 生年月日
- 安政4年 1月29日
- 出生地
- 大坂(大阪府)
- 経歴
- 初代豊竹古靱太夫に入門、十九太夫を名乗る。明治10年初代呂太夫の門に移り呂勢太夫と改名。新呂太夫、竹本祖太夫を経て、40年2代目呂太夫を襲名。悪声ながら器用な芸で「吃又」「城木屋」などを得意とした。
- 没年月日
- 昭和5年 9月26日 (1930年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
豊竹 呂太夫(5代目)
トヨタケ ロダユウ
昭和・平成期の義太夫節太夫(文楽)
- 生年
- 昭和20(1945)年7月28日
- 没年
- 平成12(2000)年9月9日
- 出生地
- 群馬県前橋市
- 本名
- 青木 正
- 別名
- 前名=豊竹 若子太夫
- 学歴〔年〕
- 立教大学文学部〔昭和42年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 大阪府民劇場奨励賞〔昭和52年〕,芸術選奨文部大臣新人賞〔昭和54年〕,国立劇場文楽賞(奨励賞)〔昭和56年〕,国立劇場文楽賞(優秀賞)〔昭和60年・62年・63年・平成1年〕,松尾芸能賞(優秀賞 第9回)〔昭和63年〕,京都市芸術新人賞(昭62年度)〔昭和63年〕
- 経歴
- 昭和27年10代目豊竹若太夫に入門、若子太夫を名乗る。29年初舞台。42年師匠の死で3代目春子太夫門下となり、同年5代目呂大夫を襲名。49年再び師匠の死で4代目竹本越路大夫の門下へ。“原宿文楽”“池袋文楽”“紀尾井文楽”など文楽の普及活動にも努めた。
豊竹 呂太夫(2代目)
トヨタケ ロダユウ
明治・大正期の義太夫節太夫(文楽)
- 生年
- 安政4年1月29日(1857年)
- 没年
- 昭和5(1930)年9月26日
- 出生地
- 大阪
- 本名
- 堀 卯兵衛
- 経歴
- 初代豊竹古靱太夫に入門、十九太夫を名のる。明治10年初代呂太夫の門に移り呂勢太夫と改名。新呂太夫、竹本祖太夫を経て、40年2代目呂太夫を襲名。悪声ながら器用な芸で「吃又」「城木屋」などを得意とした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
豊竹呂太夫(初代) とよたけ-ろだゆう
1843-1907 明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
天保(てんぽう)14年生まれ。家は大坂の薬屋。素人(しろうと)義太夫の出身で2代呂篤(ろとく)を名のる。初代豊竹古靱太夫(こうつぼだゆう)に入門,明治7年呂太夫を称した。おおきく,ふとい声で時代物を得意とした。弟子に豊竹呂昇。明治40年3月30日死去。65歳。本名は上西吉兵衛。通称ははらはら屋。
豊竹呂太夫 とよたけ-ろだゆう
?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節の豊竹越前少掾(えちぜんのしょうじょう)の弟子。享保(きょうほう)10年(1725)大坂豊竹座で初舞台。18年河内太夫(かわちだゆう)と改名。滑稽(こっけい)な語りを意味するチャリ語りの元祖。明治の呂太夫と区別して享保の呂太夫といわれ,代数にはいれない。後名は駿河太夫(するがだゆう)。
豊竹呂太夫(2代) とよたけ-ろだゆう
1857-1930 明治-昭和時代前期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
安政4年1月29日生まれ。大坂の人。義太夫節の初代豊竹古靱太夫(こうつぼだゆう),初代豊竹呂太夫にまなぶ。明治9年初舞台。十九太夫,呂勢太夫,新呂太夫,竹本祖太夫をへて40年2代を襲名。昭和5年9月26日死去。74歳。本名は堀卯兵衛。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例