デジタル大辞泉
「竹本越路太夫」の意味・読み・例文・類語
たけもと‐こしじだゆう〔‐こしぢダイフ〕【竹本越路太夫】
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たけもと‐こしじだゆう【竹本越路太夫】
- 義太夫節の太夫。三世。大正期の代表的太夫。大阪出身。二世の門弟。明治三六年(一九〇三)三世を襲名。慶応元~大正一三年(一八六五‐一九二四)
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竹本 越路太夫(4代目)
タケモト コシジダユウ
- 職業
- 義太夫節太夫(文楽)
- 専門
- 人形浄瑠璃
- 肩書
- 文楽協会技芸員代表 重要無形文化財保持者(人形浄瑠璃文楽・太夫)〔昭和46年〕,日本芸術院会員〔昭和59年〕
- 本名
- 小出 清(コイデ キヨシ)
- 別名
- 前名=豊竹 小松太夫(初代),豊竹 つばめ太夫(3代目)
- 生年月日
- 大正2年 1月4日
- 出生地
- 大阪府 大阪市
- 経歴
- 大正13年11歳のとき2代目豊竹古靱太夫(豊竹山城少掾)に入門し、初代豊竹小松太夫を名乗る。5年まで行われた“大序制度”という厳しい修業を受けた最後の太夫で、芸風の異なる複数の先輩・師匠から技術を吸収。15年初舞台。昭和13年新義座に出た後一時廃業するが、復座して16年3代目豊竹つばめ太夫を襲名。戦後は24年三和会に所属。29年2代目野沢喜左衛門が相三味線に。38年切の字を許される。41年4代目竹本越路太夫を襲名。深い情感と精神性を感じさせる語り口、格調の高い芸風で一世を風靡した。平成元年「菅原伝授手習鑑・桜丸切腹の段」の公演を最後に引退。引退後は後進の指導に尽力した。昭和46年人間国宝、59年日本芸術院会員、平成2年文化功労者。得意芸に「平家女護島・鬼界ケ島」「源平布引滝・九郎助住家」「奥州安達原・袖萩祭文」「双蝶々曲輪日記・引窓」「菅原伝授手習鑑・佐太村」「冥途の飛脚・封印切」など。自伝に「四代竹本越路太夫」がある。
- 所属団体
- 文楽協会
- 受賞
- 芸術選奨文部大臣賞(昭45年度)〔昭和46年〕「ひらがな盛衰記」,文化功労者〔平成2年〕 紫綬褒章〔昭和49年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和59年〕,勲二等瑞宝章〔平成11年〕 芸術祭賞奨励賞〔昭和29年・37年〕,芸術祭賞〔昭和31年・33年〕,大阪芸術賞〔昭和54年〕,芸能功労者表彰〔昭和58年〕,京都府文化賞(特別功労賞)〔昭和59年〕,NHK放送文化賞(第38回)〔昭和61年〕,松尾芸能賞(伝統芸能特別賞 第10回)〔平成1年〕,国立劇場文楽賞(特別賞 第9回)〔平成1年〕,京都市文化功労者〔平成2年〕
- 没年月日
- 平成14年 6月24日 (2002年)
竹本 越路太夫(3代目)
タケモト コシジダユウ
- 職業
- 義太夫節太夫(文楽)
- 専門
- 人形浄瑠璃
- 本名
- 貴田 常次郎
- 別名
- 前名=竹本 小常太夫,竹本 常子太夫,竹本 さの太夫,竹本 文字太夫(6代目)
- 生年月日
- 慶応1年 10月6日
- 出生地
- 堺(大阪府 堺市)
- 経歴
- 8歳から鶴沢由松、のち豊沢団七に師事し、明治11年2代目越路太夫(のちの竹本摂津大掾)の門下となる。16年竹本常小太夫、22年4代竹本さの太夫、31年6代竹本文字太夫を経て、36年3代目越路太夫を襲名。大正4年文楽座紋下となる。「太十」「勘助内」などを得意芸とした。
- 没年月日
- 大正13年 3月18日 (1924年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
竹本越路太夫
たけもとこしじだゆう
義太夫(ぎだゆう)節の大夫。2世は義太夫節の全盛期をもたらした明治の名人であり、3世は大正の名人であったため、近年になって非常に大きな名跡(みょうせき)となった。
[倉田喜弘]
(1836―1917)3世鶴沢清七(つるざわせいしち)や5世竹本春太夫(はるたゆう)に学び、初め竹本南部太夫(なんぶだゆう)と名のった。1860年(万延1)に3世野沢吉兵衛(きちべえ)と江戸へ下ったとき、吉兵衛の亡父の名前を継いで2世越路太夫となる。3年後に帰坂して文楽(ぶんらく)の芝居に出演。77年(明治10)に春太夫が没したのちは2世豊沢(とよざわ)団平を相三味線とし(~1884)、83年に文楽座の櫓下(やぐらした)となった。85年以来しばしば東京へ行ったが、そのつど持ち前の美声で聴衆を魅了し、義太夫節の普及に大きな足跡を残した。1903年(明治36)6世竹本春太夫を襲名したのち、竹本摂津大掾(せっつのだいじょう)の受領(ずりょう)を披露する。同年5月の興行は、75日間の大入りを記録した。『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』「御殿」の段、『鶊山古跡松(ひばりやまこせきのまつ)』「中将姫雪責(ちゅうじょうひめゆきぜめ)」の段、『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』「十種香(じゅしゅこう)」の段などの艶物(つやもの)が得意で、13年(大正2)引退。大正6年10月9日没。
[倉田喜弘]
(1865―1924)2世の門弟。摂津大掾に次いで文楽座の櫓下となった。音遣(おんづか)いに秀でた名人で、『絵本太功記(えほんたいこうき)』「尼ヶ崎(あまがさき)」の段、『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』「寺子屋」の段、『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』「酒屋」の段などを得意とした。
[倉田喜弘]
(1913―2002)本名小出清(こいできよし)。豊竹山城少掾(とよたけやましろのしょうじょう)の門弟豊竹つばめ大夫が1967年(昭和42)に襲名。71年には重要無形文化財保持者に認定され、84年芸術院会員に推された。89年(平成1)5月引退。
[倉田喜弘]
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竹本越路太夫 (たけもとこしじだゆう)
義太夫節の太夫。(1)初世(?-1848(嘉永1)) 幕末に三味線の名人といわれた3世野沢吉兵衛(1821-62)の実父。(2)2世 竹本摂津大掾の前名。(3)3世(1865-1924・慶応1-大正13) 本名貴田常次郎。大阪府堺市出身。幼時から義太夫節を稽古して小常太夫と名のり,1878年2世に入門,83年常子太夫と改めて文楽座に初出勤,89年さの太夫,98年6世文字太夫,1903年3世を襲名。美声ではないが豊かな声量に恵まれ,とくに音遣いのうまさは抜群で,時代,世話ともによくし,技術的には師匠以上との評もあった。師匠引退のあと,15年文楽座の櫓下(やぐらした)となり義太夫界に君臨,素浄瑠璃で東京の歌舞伎座を超満員にするほどの人気を集めた。(4)4世(1913-2002・大正2-平成14) 本名小出清。大阪市出身。1924年2世豊竹古靱(こうつぼ)太夫(豊竹山城少掾)に入門,小松太夫を名のり,41年3世つばめ太夫,66年4世を襲名。重要無形文化財保持者。
執筆者:山田 庄一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
竹本 越路太夫(3代目)
タケモト コシジダユウ
明治・大正期の義太夫節太夫(文楽)
- 生年
- 慶応1年10月6日(1865年)
- 没年
- 大正13(1924)年3月18日
- 出生地
- 堺(大阪府堺市)
- 本名
- 貴田 常次郎
- 別名
- 前名=竹本 小常太夫,竹本 常子太夫,竹本 さの太夫,竹本 文字太夫(6代目)
- 経歴
- 8歳から鶴沢由松、のち豊沢団七に師事し、明治11年2代目越路太夫(のちの竹本摂津大掾)の門下となる。16年竹本常小太夫、22年4代竹本さの太夫、31年6代竹本文字太夫を経て、36年3代目越路太夫を襲名。大正4年文楽座紋下となる。「太十」「勘助内」などを得意芸とした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
竹本越路太夫(3代)
没年:大正13.3.18(1924)
生年:慶応1.10.6(1865.11.23)
明治大正期の義太夫節の太夫。本名貴田常次郎。泉州堺の生まれ。幼いころから素人浄瑠璃の会で語るのを楽しみにしていたが,明治11(1878)年に14歳で2代目越路太夫(のちの竹本摂津大掾)の門弟となり,プロの道を歩みはじめる。常子太夫,さの太夫,文字太夫と順次改名し,36年に3代目を相続。大正4(1915)年文楽座8代目紋下となった。得意の語り物は「絵本太功記」の「尼ケ崎の段」,「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋の段」など。晩年は病に倒れてレコードを残さなかったのが惜しまれる。<参考文献>「名家真相録」(『演芸画報』1910年6月号)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
竹本越路太夫(3代) たけもと-こしじだゆう
1865-1924 明治-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
慶応元年10月6日生まれ。義太夫節。2代の門人となり,常子太夫,さの太夫,6代文字太夫をへて明治36年3代を襲名。大正4年から文楽座の櫓下(やぐらした)となった。大正13年3月18日死去。60歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身。本名は貴田常次郎。
竹本越路太夫(初代) たけもと-こしじだゆう
?-1848 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。弘化(こうか)の末ごろ江戸の寄席に出演した。幕末の三味線の名人3代野沢吉兵衛の実父。嘉永(かえい)元年8月19日死去。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
竹本越路太夫(3世)
たけもとこしじだゆう[さんせい]
[生]慶応1(1865)
[没]1929
義太夫節の太夫。 1878年2世越路太夫に入門。常子太夫,さの太夫,文字太夫を経て,1903年3世襲名。 15年文楽座櫓下 (やぐらした。総座頭のこと) 。粋で声量豊かな声で知られた,音遣いの名手。
竹本越路太夫(2世)
たけもとこしじだゆう[にせい]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
竹本 越路太夫(3代目) (たけもと こしじだゆう)
生年月日:1865年10月6日
明治時代;大正時代の義太夫節太夫
1924年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報