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竹本越路太夫 タケモトコシジダユウ

世界大百科事典 第2版の解説

たけもとこしじだゆう【竹本越路太夫】

義太夫節の太夫。(1)初世(?‐1848(嘉永1)) 幕末に三味線の名人といわれた3世野沢吉兵衛(1821‐62)の実父。(2)2世 竹本摂津大掾の前名。(3)3世(1865‐1924∥慶応1‐大正13) 本名貴田常次郎。大阪府堺市出身。幼時から義太夫節を稽古して小常太夫と名のり,1878年2世に入門,83年常子太夫と改めて文楽座に初出勤,89年さの太夫,98年6世文字太夫,1903年3世を襲名。美声ではないが豊かな声量に恵まれ,とくに音遣いのうまさは抜群で,時代,世話ともによくし,技術的には師匠以上との評もあった。

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大辞林 第三版の解説

たけもとこしじだゆう【竹本越路太夫】

義太夫節の太夫。四世を数える。
(二世)竹本摂津大掾せつつだいじようの前名。
(三世)(1865~1924) 大阪府堺の生まれ。二世の門弟。大正期の名人。
(四世)(1913~2002) 大阪市生まれ。昭和期に活躍。人間味あふれる自然な語り口で知られた。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

竹本越路太夫
たけもとこしじだゆう

義太夫(ぎだゆう)節の大夫。2世は義太夫節の全盛期をもたらした明治の名人であり、3世は大正の名人であったため、近年になって非常に大きな名跡(みょうせき)となった。[倉田喜弘]

2世

(1836―1917)3世鶴沢清七(つるざわせいしち)や5世竹本春太夫(はるたゆう)に学び、初め竹本南部太夫(なんぶだゆう)と名のった。1860年(万延1)に3世野沢吉兵衛(きちべえ)と江戸へ下ったとき、吉兵衛の亡父の名前を継いで2世越路太夫となる。3年後に帰坂して文楽(ぶんらく)の芝居に出演。77年(明治10)に春太夫が没したのちは2世豊沢(とよざわ)団平を相三味線とし(~1884)、83年に文楽座の櫓下(やぐらした)となった。85年以来しばしば東京へ行ったが、そのつど持ち前の美声で聴衆を魅了し、義太夫節の普及に大きな足跡を残した。1903年(明治36)6世竹本春太夫を襲名したのち、竹本摂津大掾(せっつのだいじょう)の受領(ずりょう)を披露する。同年5月の興行は、75日間の大入りを記録した。『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』「御殿」の段、『山古跡松(ひばりやまこせきのまつ)』「中将姫雪責(ちゅうじょうひめゆきぜめ)」の段、『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』「十種香(じゅしゅこう)」の段などの艶物(つやもの)が得意で、13年(大正2)引退。大正6年10月9日没。[倉田喜弘]

3世

(1865―1924)2世の門弟。摂津大掾に次いで文楽座の櫓下となった。音遣(おんづか)いに秀でた名人で、『絵本太功記(えほんたいこうき)』「尼ヶ崎(あまがさき)」の段、『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』「寺子屋」の段、『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』「酒屋」の段などを得意とした。[倉田喜弘]

4世

(1913―2002)本名小出清(こいできよし)。豊竹山城少掾(とよたけやましろのしょうじょう)の門弟豊竹つばめ大夫が1967年(昭和42)に襲名。71年には重要無形文化財保持者に認定され、84年芸術院会員に推された。89年(平成1)5月引退。[倉田喜弘]

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