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鶴沢清六 つるざわせいろく

百科事典マイペディアの解説

鶴沢清六【つるざわせいろく】

義太夫節三味線演奏家の芸名。4世まである。初世〔1824?-1878〕は大坂に生まれ,前名鶴沢徳太郎。1836年鶴沢清六と名乗り,立三味線をひいた。明治初年には名人とうたわれた人。

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世界大百科事典 第2版の解説

つるざわせいろく【鶴沢清六】

義太夫節の三味線演奏者。(1)初世(1824‐78∥文政7‐明治11) 初名鶴沢徳太郎,1836年(天保7),2世鶴沢清七門下であるのと,本名の万屋清六にちなんで清六と名のる。初世竹本大隅太夫らを弾き,63年(文久3)引退。江戸在住が長かった。(2)2世(1838‐1901∥天保9‐明治34) 初世門下で,鶴沢六三郎から3世徳太郎,そして1880年師名の2世を襲った。初世同様に東京逗留がながかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鶴沢清六
つるざわせいろく

義太夫(ぎだゆう)節の三味線。[倉田喜弘]

初世

(?―1878)1828年(文政11)初舞台。竹本大隅太夫(おおすみだゆう)や竹本勢見太夫(せみたゆう)を弾いて研鑽(けんさん)を積んだのち、46年(弘化3)に江戸へ下った。73年(明治6)に大阪へ戻って初世豊竹古靭太夫(とよたけこうつぼだゆう)を弾き、76年に引退。2世(1838―1901)も1881年(明治14)に東京へ行き、蠣殻町(かきがらちょう)の師匠として重んじられた。[倉田喜弘]

3世

(1868―1922)静岡市の生まれ。1884年(明治17)に大阪へ出て、1903年(明治36)に清六を継ぐ。一世の名手と喧伝(けんでん)され、3世竹本大隅太夫や2世豊竹古靭太夫(後の山城少掾(やましろのしょうじょう))を弾いた。[倉田喜弘]

4世

(1889―1960)本名佐藤正哉。東京生まれ。初世清六家の養子となり、1923年(大正12)に4世を襲名する。2世古靭太夫の相三味線として、49年(昭和24)に至るまでの26年間、名コンビをうたわれた。一時文楽(ぶんらく)座を退いたが、復帰後の55年には重要無形文化財保持者に認定された。格調の高い芸風で、昭和期を代表する名人であった。[倉田喜弘]

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