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財部彪 たからべたけし

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

財部彪
たからべたけし

[生]慶応3(1867).4.7. 都城
[没]1949.1.13. 東京
海軍軍人。 1889年海軍兵学校,93年海軍大学校卒業。 1915年に旅順要港司令官となったのち,舞鶴,佐世保横須賀の鎮守府長官を歴任し,19年大将。 23~24年山本権兵衛内閣,24~25年加藤高明内閣,29~30年浜口雄幸内閣それぞれ海相をつとめた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

財部彪 たからべ-たけし

1867-1949 明治-昭和時代前期の軍人。
慶応3年4月7日生まれ。財部実秋(さねあき)の次男。大本営参謀,海軍次官などを歴任。大正8年大将となり,大正末期から昭和初期にかけて6度海相をつとめる。昭和5年ロンドン海軍軍縮条約に全権のひとりとして調印。昭和24年1月13日死去。83歳。日向(ひゅうが)(宮崎県)出身。海軍大学校卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

たからべたけし【財部彪】

1867‐1949(慶応3‐昭和24)
海軍大将。宮崎県出身で妻は山本権兵衛の娘。海軍兵学校,海軍大学校を卒業し,日清戦争では〈高雄〉分隊長,日露戦争では大本営海軍部の作戦参謀として活躍。1909年海軍次官となるが,14年のシーメンス事件の影響で一時待命。23年に加藤友三郎内閣の海相となり,以後,第2次山本権兵衛,加藤高明,第1次若槻礼次郎浜口雄幸内閣の海相を歴任する。30年,ロンドン軍縮会議の全権として海軍部内の艦隊派など条約反対派の動きを抑えて条約を調印したが,帰国後辞職して軍事参議官となる。

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大辞林 第三版の解説

たからべたけし【財部彪】

1867~1947) 軍人。海軍大将。宮崎県生まれ。海軍次官、のち海相に六度就任。1930年(昭和5)ロンドン軍縮会議の全権の一人となり、補助艦制限の条約に調印。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

財部彪
たからべたけし
(1867―1949)

海軍軍人。慶応(けいおう)3年4月7日宮崎県に生まれる。1889年(明治22)海軍兵学校卒業、1893年海軍大学校卒業。日清(にっしん)戦争従軍後イギリスに駐在、日露戦争では大本営の作戦参謀。1909年(明治42)から1914年(大正3)まで海軍次官。シーメンス事件で一時待命となったが復活、1919年海軍大将に進んだ。1923年加藤友三郎内閣の海相となり、以後、第二次山本権兵衛(やまもとごんべえ)、第一次・第二次加藤高明(かとうたかあき)、第一次若槻礼次郎(わかつきれいじろう)、浜口雄幸(はまぐちおさち)各内閣の海相を歴任した。ロンドン海軍軍縮会議の全権として条約に調印したが、反対派から攻撃され、1932年(昭和7)予備役編入。山本権兵衛の娘を妻とし薩摩(さつま)閥と目された。昭和24年1月13日死去。[藤原 彰]

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世界大百科事典内の財部彪の言及

【海軍省】より

…省内の機構は,当初からの大臣官房,軍務局,人事局,医務局,経理局,法務局に加え,1916年艦政局と機関局が,20年には艦政局にかわり軍需局が設けられ,さらに23年に教育局と建築局,40年に兵備局が設置され,これらの機構で太平洋戦争の時期に至った。 伝統的に海軍部内の結束と融和は,海軍大臣の統率力によって保たれ,海軍省の枢要ポストを占めてきた軍政派が海軍の主流派を形成してきたが,1922年のワシントン海軍軍縮条約の締結をめぐって,海軍部内に亀裂が生じ,さらに30年のロンドン海軍軍縮条約締結をめぐり,軍令部は条約締結は統帥権干犯だとして条約締結をやむなしとする海軍全権の財部彪(たからべたけし)海軍大臣に強く反対した(統帥権干犯問題)。以後,海軍部内では,条約派(軍政派)と艦隊派(統帥派)と称される2派の対立が激化し,軍縮条約に敵意をもつ軍令部と中堅将校らのつきあげにより,海軍省首脳の統制力は減退していった。…

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