貴船の本地(読み)きぶねのほんじ

改訂新版 世界大百科事典 「貴船の本地」の意味・わかりやすい解説

貴船の本地 (きぶねのほんじ)

御伽草子絵巻,奈良絵本で多く伝来しており,一本ごとに叙述の出入りがある。本三位中将は帝の宣旨により,花の都のみめよき女を迎えるが,心にかなう人がなく,みな難をつけて返し,その数は3年間に560人に及んだ。帝の御前で扇くらべの催しのおり,扇に描かれた女房の絵を見て恋に陥り,その絵師を尋ねて女房に逢おうと決心し,二相通力(つうりき)の大殿(おおいとの)に参り,鞍馬の奥にある鬼国(きこく)の大王の乙娘(おとむすめ)で13歳の〈こんつ女〉であることを知らされる。中将は清水寺,太秦寺,伊勢大神宮に参籠し祈誓をかけ,初瀬観音の夢想を得て鞍馬の毘沙門にこもり,三七日へて告げに任せて正面にこもっていた〈鬼の娘〉に逢い,妻に所望の由を申し入れ,僧正が谷の池の丑寅にある岩屋から鬼国へ赴く。しかし,七日の契りのみで,こんつ女は大王の餌食にされることとなり,はなだの帯を形見として中将に手渡し別れる。瞬時のうちに都に送り返された中将は,その翌日半盥(はんだらい)に水を入れて見るや,午の刻にこんつ女の声が届き,その死を知る。盛大な供養を行い,五戒を保ち,蓮台野で念仏しているとき,中将はおばの二条の局の子を拾い,養い育てる。姫君13歳のとき,梵天帝釈仰せで二度契りをこめるべく娑婆に再来したこんつ女と知る。左の手の指がないのは,形見を握りしめていたからであった。2人は120年の齢を保ち,姫君は荒人神(あらひとがみ)となり,貴船の大明神とあらわれ,中将は客人神(まろうどがみ)とあらわれた。冒頭は昔話〈絵姿女房〉の型で幸若舞曲《烏帽子折》にも見られ,半盥の件は《御曹司島渡》にも採り入れられた趣向である。節分に豆をまくいわれ,五節句の起りなどを説き,鬼国を四方四季の景観として描写する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「貴船の本地」の意味・わかりやすい解説

貴船の本地
きぶねのほんじ

御伽草子(おとぎぞうし)の本地物の一つ。室町時代後期の古写本があるから、このころには成立流布していた物語である。貴船大明神に祀(まつ)られる神々の縁起由来譚(ゆらいたん)で、当時行われていた説話や民間伝承(昔話「絵姿女房」)を巧みに組み合わせている。末尾に五節句の由来を説いており、節分の豆撒(ま)き行事について考えるうえで不可欠な資料でもある。ちなみに同旨の記事が室町後期の百科辞書『壒嚢鈔(あいのうしょう)』巻1にみえる。

 寛平(かんぴょう)法皇の御時、都の中将定平は扇絵の女房に恋するようになり、鞍馬(くらま)山僧正に、谷の岩屋の奥にある鬼国の大王の娘乙姫(おとひめ)がこの絵姿女房にも勝ると教えられる。やがて鞍馬の毘沙門天(びしゃもんてん)の示現を得て姫と出会い、鬼国への供を願う。鬼の大王は人間の中将を差し出せと迫るが、姫が身代りになって父の餌食(えじき)となり、中将は難を逃れ、日本国へ立ち帰る。その後、中将の叔母に女子が生まれるが、この娘こそ乙姫の生まれ変わりであった。その左手には別れたときに姫が残した形見の帯の切れ端があった。中将は喜び、今生の契を結ぶ。これを知った鬼の大王は節分の夜に2人を襲うが、宮中で追儺(ついな)の行事をしてこれを退けた。その後、姫は貴船大明神と顕現し、中将も客人神(まろうどがみ)となって顕(あらわ)れ、人々の恋路の守護神になった、という物語。

[徳田和夫]

『『室町時代物語大成4』(1976・角川書店)』『松本隆信「中世における本地物の研究 5」(『斯道文庫論集16』所収・1979・慶応義塾大学)』

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