赤壁賦(読み)セキヘキノフ(英語表記)Chì bì fù

デジタル大辞泉 「赤壁賦」の意味・読み・例文・類語

せきへき‐の‐ふ【赤壁賦】

中国北宋蘇軾そしょく赤壁に遊んだおりに作った、前後2編の賦。1082年の7月と同年10月の作。それぞれ、「前赤壁賦」「こう赤壁賦」と題する。

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精選版 日本国語大辞典 「赤壁賦」の意味・読み・例文・類語

せきへきのふ【赤壁賦】

  1. 中国の賦。前後二編。中国北宋の蘇軾撰。元豊五年(一〇八二成立。前編は五三七字。同年七月、武漢市の西にある赤鼻山を古戦場の赤壁と誤って遊覧した際作ったもので、天地長久と人の世の短さを対比させ、自然の美しさに対する喜び、感動を記す。続編は三五七字、「後赤壁賦」と題する。同年一〇月に再遊した記念の作。三か月間の自然の変化をうたい、飛行する鶴に詩心をよせている。

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改訂新版 世界大百科事典 「赤壁賦」の意味・わかりやすい解説

赤壁賦 (せきへきのふ)
Chì bì fù

中国,宋代の詩人蘇軾(そしよく)(東坡)の《前赤壁賦》と《後(こう)赤壁賦》とを合わせての称(前編のみの称にも用いる)。1082年(元豊5)の秋と冬,流罪地の黄州を流れる長江揚子江)の赤壁に遊んでの作。〈賦〉は漢代に始まる伝統ある韻文の一形式であるが,蘇軾はそれを〈文賦〉の名で呼ばれる抒情ゆたかな文学として完成した。2編の賦は蘇軾の文学を代表する傑作で,宋一代の絶唱として人々に愛されている。蘇軾の真跡とされる書も伝わる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「赤壁賦」の意味・わかりやすい解説

赤壁賦
せきへきのふ
Chi-bi fu

中国,北宋の蘇軾 (そしょく) の作。元豊5 (1082) 年成立。政争のため同3年都を追われ黄州 (湖北省) に流された作者が,翌々年7月揚子江中の赤壁に遊んだときのありさまを記したもの。同年 10月再び赤壁に遊び続編をつくったので,7月の作を『前赤壁賦』,10月の作を『後赤壁賦』と呼ぶ。いずれも友と連れ立った舟遊びの楽しさを,きびしい自然に対する畏怖と,はかない人生に対する悲哀とともに,才気あふれた筆で述べる。賦のなかで『三国志』で有名な赤壁の戦いの回想が入るが,実際の古戦場はずっと上流の同名の地である。漢代に栄えた賦は,宋代に入ると「文賦」と呼ばれて著しく散文化したが,『赤壁賦』はその代表的傑作であるとともに,中国の賦のなかでも最も有名な作品である。

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