(読み)ふ

日本大百科全書(ニッポニカ)「賦」の解説


中国古典文学の代表的な文体の一つ。辞賦(じふ)ともいう。賦とは、元来、敷き延べる意。したがって全編にわたり華麗な辞句を連ね、数十句から数百句にも及ぶ長編作品がほとんどを占める。戦国末期の楚(そ)国の宮廷文壇からおこり、漢魏六朝(かんぎりくちょう)時代(前2世紀~後6世紀)をその全盛期とする壮麗な朗誦(ろうしょう)文学で、対句を主体にしつつ、問答形式を用いたり、長短句を適宜織り交ぜたりするので、『文選(もんぜん)』以来いちおうは「散文」として取り扱っているが、押韻(おういん)や平仄(ひょうそく)に留意するなど韻文的要素も多分に含んでおり、正確には韻文と散文の折衷様式と考えてよい。中国古代貴族文学の典型的文体。

 南方の楚国に発生したこの文学様式が、やがて中央文壇の主流を占めるに至った経緯は、初め宋玉(そうぎょく)らを中心として楚の宮廷文壇で盛んにつくられていた辞賦が、楚の王室の東遷とともに江淮(こうわい)地方に伝播(でんぱ)され、前漢初期、この地方で枚乗(ばいじょう)、荘忌(そうき)、鄒陽(すうよう)の三大辞賦作家をはじめ多くの作家の活動が始まり、ついで辞賦を愛好した武帝のとき、枚乗らの作風を継承する司馬相如(しばしょうじょ)、枚皋(ばいこう)、荘助(そうじょ)らが漢室の文壇に大挙招かれたことにより、初めて辞賦が宮廷貴族文学の中枢的地位を獲得したといえる。

 代表作家には、前述の諸家に続き、前漢の揚雄(ようゆう)、後漢(ごかん)の班固(はんこ)・張衡(ちょうこう)・蔡邕(さいよう)、魏(ぎ)の曹植・王粲(おうさん)、西晋(せいしん)の潘岳(はんがく)・陸機・左思、東晋の郭璞(かくはく)・孫綽(そんしゃく)、南朝の謝霊運・鮑照(ほうしょう)・沈約(しんやく)・江淹(こうえん)、北朝の庾信(ゆしん)らがある。賦の修辞が漢魏六朝の詩や駢文(べんぶん)に与えた影響も大きい。

[岡村 繁]

『小尾郊一著『全釈漢文大系26・27 文選』(1974・集英社)』

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精選版 日本国語大辞典「賦」の解説

ふ‐・す【賦】

[1] 〘他サ変〙 ⇒ふする(賦)
[2] 〘他サ五(四)〙 (サ変動詞から転じたもの) =ふする(賦)

ふ【賦】

〘名〙
① 割り当てること。割りつけること。配ること。
② みつぎもの。年貢。租税。また、賦役。
※続日本紀‐養老元年(717)一一月戊午「熊有精麤賦無貴賤」 〔書経‐禹貢〕
③ 「詩経」の六義(りくぎ)の一つで、比・興とともに、表現上の方法の分類を示すもの。事実や風景、心に感じたことなどをありのままに述べたもの。
※作文大体(1108頃か)「詩六義者風賦比興雅頌也」 〔詩経大序〕
④ 漢詩になぞらえて、紀貫之がいう和歌の六義の一つ。ありのままに詠むもので、仮名序のかぞえ歌に相当する。
※古今(905‐914)真名序「和歌有六義。一曰風、二曰賦、三曰比、四曰興、五曰雅、六曰頌」
⑤ 漢文の韻文体の一つ。事物の様子をありのままに表わし、自分の感想を付け加えるもの。対句を多く用い、句末は必ず韻を踏む。
※菅家文草(900頃)七「未旦求衣賦一首」 〔班固‐両都賦序〕
⑥ 転じて、広く一般的に韻を含んだ詩文。
※万葉(8C後)一七・三九八五・題詞「二上山賦一首」
⑦ 俳文で、⑤の様式をとり入れ、故事や成句などを交じえ、対句を多く用い自分の感想などを述べるもの。〔俳諧・本朝文選(1706)〕

ふ‐・する【賦】

〘他サ変〙 ふ・す 〘他サ変〙
① わりあてる。くばる。わりつける。また、あたえる。さずける。
※言継卿記‐永祿一三年(1570)正月二五日「各に被賦云云、一条殿へ一、久我入道に二」
② 詩などをつくる。
※名語記(1275)五「連歌になになにをふすといへる如何。ふすは賦也。賦の字をば、くばるとよめり。題の義おもふ心を句の中にくばりこむる也」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「賦」の解説



Fu

中国の韻文の一体。形式としては,対句を用い,末に適宜押韻するもので,1句の字数にも,1編の句数にも決りはない。『楚辞』の系統をひくもので,「辞賦」と並称するが,特に区別はなく,『楚辞』の各編を賦の始りと考えることが多い。漢代に入ると華麗な叙述がふえ,宮廷でもてはやされ,文学の最も重要なジャンルとして発展,「漢賦」と呼ばれ,賈誼 (かぎ) ,司馬相如揚雄班固らが出た。六朝時代には駢文 (べんぶん) 盛行のなかにあって,さらに美文化して「駢賦」と呼ばれ,唐代にはさらに対句,音調を重んじる「律賦」が行われた。宋代には古文運動が盛んとなるにつれ,賦は散文化し,単に各所に押韻するだけのいわゆる「文賦」が生れた。蘇軾の『赤壁賦』はその代表作。宋以後は衰微一途をたどった。

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百科事典マイペディア「賦」の解説

賦【ふ】

中国の韻文の一体。対句によって構成されることが多いが,押韻の方法,句の字数,一編の句数に規定はなく,長編が多い。戦国時代の楚に起こり(《楚辞》),漢代に〈辞賦〉として盛行,魏晋〜南北朝時代には対句や音調を重んじる〈駢賦(べんぷ)〉が行われ,唐代以後も作られた。
→関連項目賈誼菅家文草宮廷文学司馬相如曹植

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デジタル大辞泉「賦」の解説

ふ【賦】[漢字項目]

常用漢字] [音](呉)(漢)
税を取りたてる。租税。「賦役賦税/田賦」
割り当てる。割り当て。「賦課割賦月賦年賦
授け与える。「賦活賦与天賦稟賦(ひんぷ)
詩歌を作る。また、詩歌。「賦詠・早春賦」
古代中国で、韻文の一体。「辞賦赤壁賦
[名のり]ます

ふ【賦】

詩や歌。「惜別の
詩経」の六義(りくぎ)の一。比喩(ひゆ)などを用いないで感じたことをありのままによむ詩の叙述法。
漢文の文体の一。対句を多用し、句末で韻をふむもの。「赤壁

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世界大百科事典 第2版「賦」の解説

くばり【賦】

鎌倉幕府室町幕府における訴訟手続上の用語訴状が幕府に受理されて,当の法廷に送付される手続をいう。またこの手続にあずかる幕府の機関も賦と称された。この手続を担当する役人賦奉行であるが,単に賦とも呼ばれた。鎌倉幕府は訴訟制度を発達させたが,執権北条時頼の時代には,訴訟専門の審理機関として引付(ひきつけ)が設けられた。これは若干名の引付と若干名の奉行人とから成るチームで,〈一番引付〉〈二番引付〉などと呼ばれ,その数は時代によって変化があった。

ふ【賦 fù】

中国の韻文の文体の一種。詩とちがって一句の長さは一定せず,長短さまざまな句を用い,押韻の方法にも定式はないが,一般に対句(ついく)によって構成されることが多く,また韻文の諸形式のうちでおおむね最も長い。〈賦〉の字義は,ものごとを鋪(し)き陳(つら)ねることで,その名のごとく種々の事物を羅列的に描写して,豊富な景観を作り出すことを本来の役割とした。また〈賦〉には朗誦するという意味もあり,この形式が元来《詩経》の詩のように歌われるものではなく,朗誦されるものであったことを暗示している。

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世界大百科事典内のの言及

【詩】より

…《楚辞》の詩形は〈三言〉を基調とするもので,リズムを整える助字〈兮(けい)〉が頻繁に用いられている。しかし,この形式すなわち〈辞〉は漢代に入ると〈賦(ふ)〉とよばれる長編の美文へと転化して,韻文と散文の中間的な性格をもつものとなり,伝統的なジャンルの区分においては〈詩〉のなかには入れられなくなった。 漢代になると,民間の歌謡のなかから〈五言〉の形式が知識人たちによって採り入れられて,〈五言詩〉が成立する。…

【中国文学】より


[楚辞]
 戦国時代,中国南部の長江(揚子江)流域でさかえた楚の国で起こった新しい韻文文学が〈楚辞〉である。その書は漢代に編集されるが,そのおもな部分は屈原の作25編で,祭礼の舞歌(《九歌》など)と独白体の〈賦〉(《離騒》など)の2類に分かれる。前者はかつては歌唱されていたであろうが,後者は初めから朗誦されたと思われ,句形は《詩経》より長く,韻のふみかたは1句おき(隔句韻)に定まっている。…

【百科事典】より

…そして,こうした分類とその体系は後の類書に大きな影響を与えた。第2はである。賦は,漢代に盛んになった韻文の一形式であって,《文選》ではこれを京都・郊祀・耕籍・畋臘(でんろう)・紀行・遊覧・江南・物色・鳥獣・志・論文・音楽・情の13類に分かっている。…

※「賦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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