江戸の浅草の非人頭(ひにんがしら)が代々襲名した名。そのはじまりについては,徳川氏のために磔刑に処せられた秋田藩家老の車丹波守の近親にあたる善七というものが家康の命をねらったが捕縛され,のちに助命されて非人頭の地位を得たとか,また1608年(慶長13)に江戸町奉行より非人頭を仰せつけられて,浅草の元鳥越(もととりごえ)に500坪の地を付与されたとかの諸説があり,さらには三河国(愛知県)渥美(あつみ)村出身の祖先が家康の江戸入り当時すでに浅草の大川端界隈に住んでいたとも伝えられているが,たしかなことはわかっていない。1666年(寛文6)以降は,江戸幕府の命令により新吉原の西南の隣接地に900坪の替地を与えられ,いわゆる手下非人(てかのひにん)たちの起居する小屋が幾棟も建つ広大な屋敷を構え,手下の収入をもって生計を営んだ。いわゆる穢多頭(えたがしら)の配下におかれていたが,その威勢は品川の非人頭(松右衛門),深川の非人頭(善三郎),代々木の非人頭(久兵衛)をしのいでいたという。穢多頭の弾左衛門家(だんざえもんけ)との間では配下の諸職人の統轄や生業をめぐる権益についてしばしば紛争を生じ,穢多頭の支配からの離脱をめざして深川・代々木の非人頭と並んで法廷闘争に持ち込んだが,1721-22年(享保6-7)の訴訟に敗れたあとは幕末にいたるまで,弾左衛門家の配下として活動せざるをえなかった。1871年(明治4)のいわゆる解放令により非人制度が廃止されたため,非人頭としての地位・権益を失い,戸籍も一般民籍に移された。
→非人
執筆者:横井 清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸時代、浅草北方に居住していた江戸およびその周辺で最有力の非人頭(がしら)代々の称。1800年(寛政12)の書上(かきあげ)によれば、江戸の非人小屋734軒中、善七手下(てか)は368軒を数え、1841年(天保12)の調査では、江戸の非人5632人中、浅草非人頭の手下は4029人を占めていた。江戸とその周辺の非人小屋に収容されている非人は、非人頭から鑑札を与えられ、市中で勧進(かんじん)することを公認されたほか、くず拾いなどに従事した。善七をはじめ、品川の松右衛門(まつえもん)、深川の善三郎、代々木の久兵衛など非人頭は穢多頭弾左衛門(えたがしらだんざえもん)の支配を受けた。非人は、穢多とともに、平民身分(農工商)の下位におかれた賤民(せんみん)身分であり、厳しい差別待遇を受けた。江戸の非人は、弾左衛門の命令のもと、彼の手代や善七や松右衛門の指図で、小伝馬(こでんま)町や小塚原(こづかっぱら)(浅草北部)、鈴ヶ森(品川)の刑場へ駆り出され、残酷な任務に従事させられたり、罪人の護送に使役されたりした。身分的には素人(しろうと)で銭や物を乞うた乞胸(ごうむね)は、稼業のうえでは乞胸頭を通じて浅草非人頭の支配を受けた。
[成澤榮壽]
(荒井貢次郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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