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藤原銀次郎 ふじわらぎんじろう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原銀次郎
ふじわらぎんじろう

[生]明治2(1869).6.17. 長野
[没]1960.3.17. 東京
昭和初期の製紙王といわれた財界人,政治家。富裕の家に生れ,1890年慶應義塾を卒業,『松江日報』の主筆となった。 94年中上川彦次郎のすすめで三井銀行に入社,翌年富岡製糸場支配人となる。

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デジタル大辞泉の解説

ふじわら‐ぎんじろう〔ふぢはらギンジラウ〕【藤原銀次郎】

[1869~1960]実業家・政治家。長野の生まれ。王子製紙を再建。藤原工業大学(現在の慶応大学理工学部)を私費で創設。第二次大戦中、商工・軍需相などを歴任。

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百科事典マイペディアの解説

藤原銀次郎【ふじわらぎんじろう】

実業家,政治家。信濃(しなの)国水内(みのち)郡出身。慶応義塾卒。三井銀行に入社。中上川彦次郎に見いだされて富岡製糸場支配人となり三井物産を経て1911年以後王子製紙の再建に成功。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原銀次郎 ふじわら-ぎんじろう

1869-1960 大正-昭和時代の実業家,政治家。
明治2年6月17日生まれ。三井物産木材部長などをへて王子製紙社長となり,昭和8年富士製紙,樺太(からふと)工業を吸収合併した。のち米内(よない)内閣の商工相,小磯内閣の軍需相などを歴任。14年藤原工業大(現慶大理工学部)を設立した。昭和35年3月17日死去。90歳。長野県出身。慶応義塾卒。
【格言など】毎日の仕事が面白く感じるように努力しなければ,長い一生をつとめられるものではない

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原銀次郎

没年:昭和35.3.17(1960)
生年:明治2.6.17(1869.7.25)
明治から昭和時代の実業家。製紙王と呼ばれた。信濃国(長野県)生まれ。明治23(1890)年慶応義塾を卒業,『松江日報』に入ったが,27年中上川彦次郎の招きで三井銀行に移り,その後富岡製糸所,三井物産に転じた。44年経営危機の王子製紙専務となり,主体を新聞用紙に転換し,また三井物産時代の部下を招いて再建に成功した。この時代の経験がその後に生き,合理的で忍耐強い経営者となった。大正9(1920)年専務取締役社長に就任。不況期富士製紙,樺太工業と激烈な競争を展開,昭和8(1933)年これらを併合,洋紙生産の80%以上を独占した。13年会長職に退き,14年私財800万円を投じて藤原工業大学(慶応大学工学部)を創立した。その後米内内閣商相,小磯内閣軍需相,東条内閣顧問を歴任した。大戦後戦犯に指名されたが,21年釈放。藤原工業大学設立や34年の藤原科学財団設立をみると,現在の技術力先導の経済発展を先見していた人物であった。<参考文献>下田将美編『藤原銀次郎回顧80年』

(齋藤憲)

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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらぎんじろう【藤原銀次郎】

1869‐1960(明治2‐昭和35)
大正・昭和期の三井財閥系実業家。長野市近郊の豪農の出身。1890年慶応義塾を卒業。《松江日報》に入社したが,三井の指導者中上川彦次郎に見いだされ,94年三井銀行に入る。96年富岡製糸場の支配人,ついで三井物産台湾支店長などを歴任し,三井内部で評価された。1911年,当時経営難におちいっていた王子製紙の専務取締役に就任,非能率工場を整理し,苫小牧で集中大量生産方式を採用し成功する。20年社長に就任。業界の激烈な競争の末に,33年富士製紙,樺太工業の吸収合併に成功し,独占的な大王子製紙の誕生をみ,藤原は製紙王と呼ばれた。

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大辞林 第三版の解説

ふじわらぎんじろう【藤原銀次郎】

1869~1960) 実業家。長野県生まれ。慶大卒。王子製紙の再建に尽力、1920年(大正9)社長に就任。藤原工業大(現、慶大理工学部)を創立。第二次大戦中、商工相・軍需相に就任。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原銀次郎
ふじわらぎんじろう
(1869―1960)

日本最大の製紙企業であった(旧)王子製紙の経営者。長野県の富農の三男に生まれる。慶応義塾を卒業後、地方新聞の記者を経て、1895年(明治28)三井銀行に入った。富岡製糸場や王子製紙支配人に一時出向したのち、三井物産に移籍、台湾支店長や木材部長を務めた。1911年(明治44)に当時業績不振であった王子製紙の専務取締役に就任、ついで社長となって経営再建に成功、1933年(昭和8)には競争企業を合併して業界での優位を決定的とした。38年に会長となる。私財を投じて藤原工業大学(慶応義塾大学理工学部の前身)を設立したほか、商工大臣なども歴任した。[四宮俊之]
『下田将美著『藤原銀次郎回顧八十年』(1950・講談社)』

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世界大百科事典内の藤原銀次郎の言及

【王子製紙[株]】より

…96年,中部工場建設に伴い三井銀行の援助を受けることになり,藤山雷太が役員として送り込まれ経営の実権を握った。これに対して労働者の不満が爆発し大ストライキが起こったが,三井から藤原銀次郎が支配人として入りストを収拾,王子製紙は完全に三井の勢力下に入った。1910年苫小牧に当時としては最新鋭の新聞用紙工場を建設し,15年以降,工場の買収,建設で樺太・朝鮮への進出を果たした。…

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