改訂新版 世界大百科事典 「農民協会」の意味・わかりやすい解説
農民協会 (のうみんきょうかい)
nóng mín xié huì
中国の農民組合をいい,農協,農会とも略称する。1921年9月浙江省蕭山県にできた衙前農民協会が最初とされるが,広範に発展するのは広東省海豊・陸豊地方で,優れた農民運動指導者の彭湃により22年9月労山農会が組織され,翌年1月には海豊県総農会が成立,会員は県人口の4分の1を占める10万に達した。湖南省衡陽県の岳北・白果一帯でも23年初頭に毛沢東の指導で農民運動が起こり,同年9月岳北農工会ができている。その後国共合作下の国民党中央農民部は24年6月〈農民協会章程(規約)〉を公布,農民運動講習所を広州ついで武漢に開設,彭湃,毛沢東らの指導で農村幹部を養成し,各地に農民協会と農民自衛軍を組織した。こうして減租減息,苛捐雑税の反対,土豪劣紳の打倒ひいては土地問題の解決を目ざす農民運動が飛躍的に発展する。農民協会も〈北伐〉の進展につれ,広東から長江(揚子江)流域の湖南,湖北,江西さらに河南,陝西へと拡大し,27年6月には会員915万を擁するまでになった。しかし同年7月に国共合作は分裂,農会は厳しい弾圧を受けることになる。
これから二十数年を経た人民共和国成立後の50年7月〈農民協会組織通則〉が公布され,農会は全国規模で再組織される。会員は雇農,貧農,中農,農村手工業労働者および農村の貧しい革命的知識分子の自発的加入から成り,その任務として土地改革の実行はじめ農民利益の保護,農業生産の発展,政治的権利の保障,政治・文化水準の向上等を掲げている。とくに重要なのは土地改革の合法的執行機関とされたことで,その達成とのちの農業集団化を推進するに当たって大きな役割を果たした。なお農民組織として土地革命期(1927-37)には貧農団や雇農工会,抗日戦争期(1937-45)には農民救国会がそれぞれできている。また下って63-65年の農村社会主義教育運動期,文化大革命期には貧農・下層中農協会が組織された。これは農村で階級闘争を進め,人民公社幹部を監督・援助し,集団経済を強化・発展させるうえで役割を発揮したとされる。
執筆者:川村 嘉夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報