近藤日出造(読み)コンドウヒデゾウ

デジタル大辞泉 「近藤日出造」の意味・読み・例文・類語

こんどう‐ひでぞう〔‐ひでザウ〕【近藤日出造】

[1908~1979]漫画家長野の生まれ。本名、秀蔵。岡本一平師事したのち、読売新聞社において政治風刺漫画を多数執筆した。後進指導にも尽力

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20世紀日本人名事典 「近藤日出造」の解説

近藤 日出造
コンドウ ヒデゾウ

昭和期の漫画家



生年
明治41(1908)年2月15日

没年
昭和54(1979)年3月23日

出生地
長野県稲荷山町(現・更埴市)

本名
近藤 秀蔵

学歴〔年〕
高小卒

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和49年〕,菊池寛賞〔昭和50年〕

経歴
家業の洋品店の手伝いなどを経て、大正15年上京、昭和3年岡本一平の門下となる。以後九州日報の嘱託をして政治漫画を描き、7年杉浦幸雄横山隆一らとプロダクション新漫画派集団(のち漫画集団)”を結成、8年から「読売新聞」に得意の似顔絵を生かした時事漫画を描く。15年“新日本漫画家協会”が結成され、機関誌「漫画」の主筆となり、毎号表紙の時局漫画を描き、ルーズベルトチャーチルを“鬼畜”にたとえたりもしたが、大政翼賛会から漫画集団への援助を断わるなど漫画への理想論に忠実に生きた。戦後20年10月新漫画派集団が“漫画集団”として新生、その中心人物として後進を育てた。また「読売新聞」に政治漫画の連載をつづけた。39年日本漫画家協会初代理事長に就任し、同協会の発展に尽力。また、テレビ「春夏秋冬」の司会や週刊誌の対談などでも軽妙な味をみせた。著書に「にっぽん人物画」(正続)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「近藤日出造」の意味・わかりやすい解説

近藤日出造
こんどうひでぞう

[生]1908.2.15. 長野,更埴
[没]1979.3.23. 東京
漫画家。本名,秀蔵。高等小学校卒業後,1926年に上京。 28年に岡本一平の門下となって政治漫画の修業を積み,32年,杉浦幸雄,横山隆一,横井福次郎ら若手漫画家を集めて「新漫画派集団」を結成。 33年読売新聞社嘱託。軍国主義化の強まるなかで,時事漫画月刊誌『漫画』を創刊し,第2次世界大戦後一時的にこれを復刊。似顔絵では清水崑と並び活躍したが,後年,評論風の仕事が多くなった。 74年に紫綬褒章,75年に菊池寛賞を受けた。

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百科事典マイペディア 「近藤日出造」の意味・わかりやすい解説

近藤日出造【こんどうひでぞう】

漫画家。本名秀蔵。長野県生れ。1926年上京,1928年岡本一平に師事。1932年には杉浦幸雄,横山隆一らと新漫画派集団(第2次大戦後漫画集団と改称)を結成し,純粋に笑いを扱うナンセンス漫画を主張した。戦後は《読売新聞》で政治漫画を執筆。18年続いた週刊誌の連載対談《やァこんにちは》なども知られる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤日出造」の解説

近藤日出造 こんどう-ひでぞう

1908-1979 昭和時代の漫画家。
明治41年2月15日生まれ。岡本一平に師事。昭和7年杉浦幸雄,横山隆一らと新漫画派集団(戦後に漫画集団と改称)を結成,リーダーとなる。39年日本漫画家協会初代理事長。「読売新聞」でながく政治漫画をかいた。50年菊池寛賞。昭和54年3月23日死去。71歳。長野県出身。本名は秀蔵。

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367日誕生日大事典 「近藤日出造」の解説

近藤 日出造 (こんどう ひでぞう)

生年月日:1908年2月15日
昭和時代の漫画家
1979年没

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