改訂新版 世界大百科事典 「通貨主義銀行主義」の意味・わかりやすい解説
通貨主義・銀行主義 (つうかしゅぎぎんこうしゅぎ)
currency principle, banking principle
イギリスのピール銀行法(1844)の可否をめぐる論争で,それぞれ賛成派と反対派によって主張された考え方である。法律制定のきっかけになったのは,ナポレオン戦争が終結し金兌換(だかん)再開後の19世紀前半に頻発した金融恐慌である。
この予防策として法律賛成派たる通貨主義論者(通貨学派。オーバーストーン卿(S.J.ロイド),R.トレンズ,G.W.ノーマンら)は次のように説く。銀行券の過剰発行こそが恐慌の原因であるから,発行権をイングランド銀行に集中し,しかも発行量を同銀行の金(きん)保有量にともなって増減させることが肝要である。そうすれば,金本位制の自動調整メカニズム(たとえば金保有量増→銀行券増発により一時的に生ずる物価上昇も,これに続く輸出減・輸入増→為替相場下落→金流出→金保有量減によって中和される。保有量減のときは流れが逆)の働きによって物価は安定し恐慌は避けられるというのである。
他方,銀行主義論者(銀行学派。T.トゥック,J.フラートン,T.ウィルソン,J.S.ミル)は,このようなメカニズムに懐疑的である。たとえば金が流入しても人々がこれを銀行券に換えようとせず自宅に退蔵してしまえば金流入→銀行券増発という現象は生じない。また銀行券増発がつねに物価上昇に結びつくかどうかも経験的に疑わしい。したがって必要なのは,銀行法による制度の改革ではなく,現行制度を維持したまま金準備量を充実させて,銀行券のみならずこれに手形等をも加えた銀行債務全体を適切に管理することであるという。
論争は,法の成立をもって通貨主義の勝利に終わり,イングランド銀行は独占的な銀行券発行権を与えられることとなったが,その後も恐慌はくり返し生じ,通貨主義の主張は形のうえでは反証された。しかし当時の銀行主義も多分に経験主義的で一貫性に欠けるところが少なくなかったので,代わって銀行主義が全面的に支持を集めるに至ったわけではない。実際,通貨主義と銀行主義の論争点の少なくとも一部は,その後も未解決のまま持ち越されて,所をかえ形をかえて議論をひきおこした。1950年代以降のマネタリズムとケインズ主義の論争もこの一例であるという見解すらある。また逆に通貨主義は19世紀初頭の地金論争における地金主義を,銀行主義は反地金主義を受け継ぐものであるともいわれる。
この論争は金融論にとって古くて新しい問題--貨幣の役割--を扱っており,学説史と制度史の双方に重要な影響を与えた画期ではあった。やがて19世紀後半の何度かの恐慌の経験から,W.バジョットが明確な形で述べた(1873)ように,〈資金の最終的貸手lender of the last resort〉としてイングランド銀行がふるまうべきであるとの考え方が浸透し,そのための技術が習得されていくのである。
執筆者:日向野 幹也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報